僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

死の意味とは

死後の世界を実際に知ることは不可能だ。だから、その有無や良し悪しを考えること自体は無意味である。しかし、死後の捉え方が今の人生にどう影響を与えるかを考えておくことには重大な意義がある。


★自分にとっての自分の死の意味
ゲームセット。そこまでの内容で人生を点数化する。だから、こんな中途半端なところで終わってしまったら困ると思うことが多い。実績÷年齢つまり濃度が基準になるが、基本的に年齢が増せば増すほど実績の上がり方が大きくなる。結果として、長生きがしたいということだろう。ただし、寝たきりになったり、植物状態になったりしたら、やはり濃度が下がってしまうから、それぐらいなら死んでしまいたい。


★自分にとっての他人の死の意味
これを語るにはあまりにデータが少ない。祖母の死には驚くほどダメージを受けなかったから、少なくとも血縁には関係しないようだ。
ヒステリックになった人が「死んでやる!」という。これは、いわゆる命を武器にしているということ。それを言っちゃおしまいということだ。誰しもが従わざるを得ない。そこまで追い込んでしまった自分に多少の責任を感じるのが普通だと思う。いわば、使わない武器、核爆弾と同じだ。使わせてはいけない。
人間に、他の人の死を背負える筋力はないから。