価値観はぶつけない。
ここ最近、「価値観をぶつけ合う」という表現に違和感を覚える。
いわゆる意識高い系のグループでよく使われている言葉だと思う。
お互いが自らの価値観を握りしめ、掛け声とともにぶつけ合う。ときに、どちらかが壊れることもあるかもしれない。それを了承済みでぶつけ合うわけだ。恰も、子供の遊びみたいな誘い方だ。
しかしながら、本来、価値観の変動は意図的に行うものではないはずだ。自分の持っているものが自分にとって常に最高なのだから。
もしぶつけ合っても、どちらが勝ちで、どちらかが負けという明確な判断は行えない。お互いが勝ったと思うことが多いだろう。
価値観は詩の講評会のように、自分の価値観を見せ合うことが本質だ。
非難することは全く必要なく、どこが良くて自分らしいのか、自分らしさをより強く反映するためにはどう表現すると良いかを話し合うべきだ。
強いて言えば、相手の価値観に影響されたら「負けた」と言うのかもしれないが、実際には多くを得たのは負けた方であって、その点では勝っているのだ。