僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

自分探しの旅の意味

自分探しの旅をすれば、本当に自分が見つかるのだろうか。

インドにバックパッカーしに行った人はみな、自分を知っている?

自分探しの旅自体にはとても意味があると僕自身感じるが、たぶん自分を見つけることはできないと思う。

 

そもそも見つけてしまったら、人生は終わったようなものだ。

常に自分は変わっていくはずだから、そこで暫定的な解を見つけたつもりになっても、その自分を持ち続ける必要はない。

 

しかしながら、ガラクタだらけのおもちゃ箱を整理する効果はありそうだ。

もしかしたら、すべてがガラクタかもしれない。

何が残るか大体想像つくけど、どの道筋を通ってそこに至るのかには少し興味がある。