リアルとフィクション
僕たちが住む世界の日常には、多くのフィクションが含まれている。
人間は自らフィクションを求めるかのように、娯楽として楽しんでいる。小説、映画、演劇、お笑いなど挙げればきりがない。
全人類が、フィクションを現実のエッセンスと無意識に認定しているのかもしれない。
なぜ人々はフィクションを求めるのか。
自分が疑似体験することで、付き合い方を学ぶんだり、普遍的な感情を再確認したり、現実逃避をしたり。
いずれにしろ内容が濃く、わざとらしくないことが必要条件だ。
人間の一般感覚である「騙されたくない」という気持ちから、映画やテレビ番組でも、ノンフィクション風の作品が好かれる。アメリカンスナイパーやテラスハウス。
しかしながら、絶対にありえないようなSFも受け入れられている。だれも魔法は使えないけど、ハリーポッターは流行ったわけだ。
そこからわかるのは、フィクションには飲み込める前提があること。魔法が使えるのは認めるが、その世界観の中での矛盾には敏感に反応する。
そして、どんなに世界観が違おうと、現実と比較し、なんらかの共通点を探し出し、学びにつなげているのだ。