僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

理想のオコヅカイセイド

「今日の放課後、ビリヤードいこうよ」
「ごめん、今お金ないんだ。」

 

小さい頃から「お金ないから」という理由で、何かを諦めたり、何かを断られたりするのが苦手だった。

 

「お金ないから」という断り文句には、
①価格に見合う価値を見出せない
②魅力は感じるが手持ちがない
という、二つの読み取り方がある。

そもそも、嘘をついたり、はぐらかしたりする場合を除いて、

複数の読み取り方がある言葉を使うべきではないから、
お金がないという言い回しは適切ではない。

 

①なら、こっちが誘う人を間違えたのかもしれない。
②なら、誘うタイミングが遅かったのかもしれない。
両方とも気をつけた上で誘ったなら、やはり自分ではなく相手が悪いと思う。

 

そのとき、相手の問題点は、“計画性の低さ”だろう。
なにかやりたいことが出てきたときに、それに対して払えるお金が足りない。
それはやはり苦しいことだ。

 

その計画性を鍛えるためのシステムこそ、お小遣い制度なのだと思う。

 

しかしながら、その能力を育むためにはそれなりの額が必要で、僕の周りにはそれに満たない額しかもらっていない友達も多かった気がする。

 

子供にはやりくりが楽しくなるぐらいのお小遣いあげないと、ただ貧困生活に追い込むだけで何も意味がない。

 

調べてみると子供のお小遣い平均月額は以下のようになっている。
小学生、1000円
中学生、2500円
高校生、5300円

 

正直、この額では何もできない。
子供が自分の財布からお金を払うことになるものについては、

その度に臨時であげるのではなく最初から月額に組み込んでおくのが僕の中の理想だ。
例えば、病院代(定期検診、風邪程度の病気)、美容院代、洋服代、ディズニー代がそれに当たる。逆に組み込む必要がないのは、携帯代、塾代。
そうすることで自分で先読みをしたり、保険をかけたりする練習になると思う。

 

親は子供にお小遣いをあげる意味についてきちんと考えてほしい。

 

ちなみに僕も基本給は大体同じで、
小学生で1000円、中学生で3000円、高校生で5000円だった。
我が家ではそれに加えて、テストの点数に応じて出来高制のボーナスが支給されるシステムが採用されていて、
小学生のときなら100点の解答用紙一枚につき100円がもらえた。
中学高校になると、定期テストでクラス順位が5位以内の科目数×3000円。
塾に行く日は、授業の有無にかかわらず1日2000円。
他にも臨時収入編として、自分用の株があって配当金がそのままもらえるようになっていた。
月額計算したら、かなりもらっていたと思う。

 

自分に子供ができたらどうやってお小遣いをあげるのか。
だいたいの人が、自分が受けた教育をお手本にすると思う。
親はどういう意図でそのシステムを採用していたのか、聞いてみると面白いかもしれない。
大した理由が返ってこないのなら、参考にする必要もないだろう。

 

まだ気持ちが子供に近いうちに、一度考えておくことに価値を感じた。