僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

加速するシコウ

手持ちの問い。いつ何時でも頭の机に広げてある。

そうやってアンテナを張っておけば、何気ない日常に隠れたヒントも見落とさなくて済むかもしれないから。

時には、そのちょっとしたヒントが怖いぐらいに繋がっていって、思いもしなかった考えに至ることがある。

人に説明するにはあまりに複雑に絡まっていく。そういうときは決まってまだこの連鎖は続くのかと面倒になる。

だからといって、自分では止められない。速度が落ちるまで待つしかない。


5月の初めに「君の名前で僕を呼んで

という映画を観た。どういう意味なのか考えずにはいられないタイトル。

答えを探しながら映画を観たけれど、エンドロールが終わってもそのタイトルは依然として僕の問いのままだった。


それからこの問いが僕の机の真ん中を陣取った。

旧約聖書ユダヤ教的解釈、ムーンライトの支配的な青色、ロダンの接吻のオリジナル、東京レインボープライド、アンドレ・アシマンが書いた原作小説、モネのポプラ並木、僕自身の人間関係、時間経過と同一性を考える哲学カフェ。

これほど多角的な事柄が思考の扉を開ける鍵になるのは、僕にとって珍しいことだ。加速する思考にクラクラしながらも、非日常的な爽快感に当てられて一種の興奮状態に導かれた。


自分のすべてをヒントに自分だけの答えへ昇華させる。この一連の流れが与えてくれる快感は替えが効かないから本当に困ってしまう。


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