僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

哲学カフェを運営している人たちへ


僕は哲学カフェ巡りが趣味のひとつだ。

3年前に初めて参加して以来、首都圏の様々な団体の哲学カフェに合計150回近くもお邪魔している。自分でも日本で初のインカレ哲学カフェサークルを設立し運営していたことがある。

そうした中で、運営陣と話す機会があると、必ずと言っていいほど哲学カフェについて全然知らないことにビックリさせられる。



どの哲学カフェでも対話に入る前に導入として哲学カフェの説明をする。

このタイミングで哲学カフェという活動全体の説明と自分たちの哲学カフェの特色の説明を混同してしまっていることが物凄く多い。


自分の哲学カフェが他の哲学カフェに比べてどう違うのか。各哲学カフェの運営陣がそれを把握していないことは、哲学カフェという文化の普及にとって重い足枷となっているに違いない。


発展途上的なこの活動にはかなりの割合で“初めて哲学カフェに参加する人”がいる。初参加の哲学カフェが哲学カフェを代表したような立場を取ることで、自分の肌に合わなかった場合に哲学カフェ自体に見切りをつけてしまう人が少なくない。

そして、どこでも同じことをやっていると思い込んだ結果、同じ団体にばかり参加する人が増える。これも良くない影響だ。



哲学カフェを運営するなら、まずは定期的に他の哲学カフェにも参加する必要がある。これは断言できる。

そうすることで、自分たちの哲学カフェの独自性はどこか、スタンダードな哲学カフェは何かを理解しておいて欲しい。

独自のマイナーチェンジで明らかに哲学カフェの範疇からはみ出ているなら、哲学カフェを名乗らないのも手だと思う。

逆に哲学カフェという名称を使うならば慎重になるべきだろう。


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見ず知らずの人々がカフェに集まって、コーヒー片手に日常生活では煙たがれてしまうような問いで対話する。

この文化が順調に広がれば、街にすら対話が溢れるようになるはず。

僕はその世界が今より良い世界だと思う。