僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

哲学カフェのリソウ

哲学カフェ。25年前のパリで始まったこの活動は、日本でも東日本大地震を機に加速度的に広まっている。

今では週末になると東京近郊なら必ず5つくらいは開催されているような状況だ。


今となっては、哲学カフェの内容は団体によってかなりの差がある。

多様化することで、参加者が自分に合った団体を選べるようになってきたと考えれば、良いことだと言える。

しかし、僕の主観ではもはや哲学カフェと呼べない団体も少なくない。

今一度、僕が理想だと思う哲学カフェの条件をまとめておくことにする。


1. 対話をしている

哲学カフェが目指す対話は、ディベート/ディスカッション/議論/討論とは全くの別物である。間違っても答えを1つに決めようとすることはない。

だから、答えを出すことを目指す行為とは明確に区別しなくてはならない。



2. 参加者に制限がない

定年退職後の、働く女性の、子供の、十代の、〇〇大学の、学生のなどと銘打って、参加条件を設けている場合がある。

条件を設ける理由を好意的に解釈すれば、哲学カフェが乱立する中で団体の独自性を確立するため。

または、似たような境遇の人を集めることで参加者同士の価値観の幅を狭め、限られた時間でより深い対話を行うため。もしかしたら、出会いの場としての効果は高める狙いがあるのかもしれない。

しかし、哲学カフェはそもそも多様性を認めた上でそのレッテルを鵜呑みにしないことを大切にしているはずだ。

運営陣には哲学カフェの理念から逆行した制限であるとしっかりと認識してほしい。



3. 参加フォームの匿名性が高い

参加フォームがfacebookのみの哲学カフェがある。facebookは基本的に実名登録をするSNSで、匿名性やバッググラウンドによるバイアスをかけないで話し合いたい場には不適切だろう。



4. 主催者が有名な人ではない

哲学カフェが出来た経緯には、それまでの哲学の勉強会では有識者が一方的に正解を伝える形式になっていることへの危機感が強く関係している。

主催者がある種の権威的な人だと、その人の話を聞くために参加者が集まり、話の流れを整理する段階でファシリテーターの意見が強く介入してしまうことになる。

そうなると、ほぼ講演会と変わらない。



正直に言えば、ここまでは哲学カフェを名乗る団体すべてが持っているべき要素だと思う。以下、僕が理想だと思う条件。



5. 開催頻度が高い

6. 参加者が固定化されていない

7. 誰でも飛び入り参加ができる

8. 途中退室がしやすい

9. 各テーブル6人までの少人数制

10. 場所が会議室ではない

11. 場所代+飲食代以上の会費がない

12. テーマを運営外から汲み取る仕組みがある

13. 活動の透明性が高い


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難しい条件だということは、哲学カフェの運営をしていた僕自身がよくわかっている。自分でやっているのに達成できなかったんだから相当だ。

行く行く、そういう哲学カフェがたくさん出来てくれたら嬉しい。