僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

人物画家のシンジョウ

僕の中で、現代芸術家の“森村泰昌”が怒涛のフィーバーモードだ。
彼は、著名な画家の自画像に扮するセルフポートレイト写真で有名で、今日に至るまで一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続けている。

 

僕が彼の作品を初めて目にしたのは、大阪の国立国美術館で行われていた「森村泰昌:自画像の美術史―『私』と『わたし』が出会うとき」という個展だった。
大阪旅行のついでに立ち寄った美術館で、本当に偶然出会った。
彼の作品に僕の目は強奪されて、気が付いたら事前に作った分刻みタイムスケジュールが完全に破綻していた。

西洋の絵画から現代美術へと僕の美術的興味が移行している期間でもあって、彼の作品はストライクど真ん中だった。

 

彼は、狂信的なまでのリサーチを重ねた上で、オリジナルに自分なりの解釈を加えて一枚の写真を撮る。
三次元を二次元で表現しようとした絵画を、三次元を忠実に映し出す写真で再現する。
よくよく考えれば、絵画を写真で再現するという行為は、逆算的だ。
絵画に混じり込んだ嘘を取り除いたかのような写真は、ある意味でオリジナルの絵よりもリアルなのかもしれない。

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彼は、写真作品より知名度は劣るものの動画作品も多く生み出している。

動画作品の中で出てきた「人物画家には殺人鬼の血が流れている」という言葉は、今でもしっかりとその形を保ったまま僕の中に居座っている。
人物画家が持つのその筆は、絵の中の顔に傷をつけることも簡単だ。それはナイフを突き立てるのとなんら変わらない。

人物画を描くには、気持ち悪いほどに歪んだ愛と信頼と責任が必要なのだろう。
僕もよく絵を描くけれど、人物画は(課題を除いて)自分しか描けない。
人物画家の信条を少しばかり理解でき、人物画全般を見る目が変わった一言だった。


さて、実は9/2〜10/10まで、森村泰昌の個展が恵比寿で開かれている。

森村泰昌展 『私』の創世記

会場:
 第一部 卓上の都市 
  MEM(3F) 前期 9/2~10/2、後期 10/4~11/6
 第二部 彷徨える星男
  MEM(2F) 9/2~10/2
 第三部 銀幕からの便り
  NADiff Gallery(B1F) 9/2~10/10
時間:12:00~20:00 月曜休廊[月曜祝日の場合は翌日休廊]
電話:03-6459-3205
ナディッフ公式HP:www.nadiff.com

MEN公式HP:mem-inc.jp

 

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第三部の動画作品は、全部で2時間以上あるのでなかなか全部は観れないとは思うが、ぜひ行ってみてほしい。
おすすめは、星男髭女階段を降りる私の三つ。

 

開催場所がかなりわかりにくいところにあるので注意!

(電柱にあるヒントを頼りにすると迷いにくい)