僕がFacebookで誕生日を非公開にしたワケ
SNSの普及のおかげで、毎年たくさんの人から誕生日をお祝いしてもらえる環境が整っている。
特にFacebookだ。
毎日にFacebookから、
『今日は〇〇さんと他友達△人が誕生日です』
と通知が来る。
それを見て日課のようにお祝いコメントをしている友達もたくさんいる。
しかし、そのおめでとうには本当に価値があるのだろうか。
昨年の誕生日、僕もたくさんの人からメッセージをもらった。
それが当たり前でごく自然に嬉しいはずだったけど、なんだか素直に喜べなかった。
よくよく考えれば、ここ数年の誕生日は毎回同じ違和感を覚えていたみたい。
その違和感が徐々に大きくなって、見過ごせない大きさになっていた。
友達におめでとうと言われてなぜ嬉しいのかと言えば、
僕の場合は、自分の誕生日を覚えてくれていたからだ。
Facebookに甘えて人の誕生日に気を配っていない人からのおめでとうには心から喜べない。
Facebookのせいで、どれが本当のおめでとうで、どれが偽物のおめでとうなのか見抜けなくなっていた。
だからしょうがなく、みんなに同じような返信をしていた。
本当は覚えてもいなかった人も含めて。
それは、きちんと覚えていてくれていた人への冒涜。
そこで、僕はFacebookで誕生日を非公開にした。
その結果、Facebookの友達は465人もいるのに、今年の誕生日のお祝いコメントはゼロ。
LINEでメッセージをくれた友達の数もやはり少し減った。
しかし、きちんと覚えてくれていた人ももちろんたくさんいた。
今年は、その人たちには心からのありがとうを言えたと思う。
久々に、すがすがしい気持ちで誕生日を過ごせた。
誕生日の非公開設定。
去年の僕から今年の僕へ、最高のプレゼントだった。
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