2人の画家を追うテンジカイ
昨年の秋、上野の東京都美術館で開かれたゴッホとゴーギャン展。
二人の軌跡を手紙で追う独特な展示形式に多くの来場者が引き込まれた。
企画展は、画家の名前、時代、ジャンル、貯蔵する美術館のどれかをタイトルにつける。
その中で、画家の名前を冠する展示会といえば、一人の画家を取り上げ、初期から晩年まで何個かの時期に分けて作風の移り変わりを見ていくスタイルがスタンダードだろう。
一人ではなく、同じ時代に生き、友情を築いた二人の画家を取り上げる手法は、正に革新的だった。
従来の手法では影響を受けたとされる画家と抱き合わせて展示することが多いが、この展示方法では画風がまったく似つかない方が繋がりに意外性が生まれて面白い。
巨匠と言われるような画家同士の意外な繋がりを解き明かせば、ストーリー性が伴いやすい。
ゴッホとゴーギャン展では、音声ガイドに人気な声優を起用して手紙の読み上げをしてくれるシステムがあった。
そうなれば、もはや一種の映画を見ているような感覚に近かった。
目の前にあるこの絵にはこんなエピソードあったと思うことで、当然没入度も上がった。
実は、この斬新な展示形式が今流行ってきている。
1/14から新橋のパナソニックミュージアムで、マティスとルオー展が始まった。
マティスもルオーも特段好きというわけではないが、さっそく行ってきた。
もちろん2人の作品は見たことがあり、画風もなんとなく理解していた。
しかし、僕が知った気になっていたのは画風が洗練された晩年の作品だけだったらしい。
若かりし頃の作品でも、マティスの裸婦像は美しいし、ルオーの黒はどこまでも力強かった。
理解が深まったな、うんうん。
あれ?個人の企画展を同時に見てるだけじゃね?
ゴッホとゴーギャン展で飲み込まれたあの感覚がない。
二人の軌跡を手紙で追う形式を採用するだけでは不十分なのか。
何が違かったのか考えてみると、それは2人の関係性の安定感だった。
マティスとルオーはパリの国立美術学校の同級生で、現存する一番古い手紙はすでに卒業した後。
つまり、この展示会は揺るぎない友情が形成されている状態からスタートする。で、最後まで仲良し。
それに比べて、ゴッホとゴーギャンの関係性は幾度となく揺れ動く。
メンヘラを極めるゴッホ。
奇怪な行動にさすがに疲れて出て行くゴーギャン。
精神病棟に送られるゴッホ。
お互いに尊敬しながらも距離感を保つ。
ゴッホが亡くなったあとに、向日葵をテーマに作品を描くゴーギャン。
映画でもおかしくないほど濃密なストーリーだ。
二人の軌跡を手紙で追う展示形式に大きな可能性が秘められているのは確かだが、成功するには「画風が似ていない」以外に「関係が安定していない」ことが必要だ。
さて、3/18からは箱根のポーラ美術で、ピカソとシャガール展が開かれる。二つの条件を満たしているから期待大だ。
誰か一緒にいこう。