彫刻のユラギ
芸術としてのヌードは、人間にとって身体という最も身近なテーマであると同時に、人間の内面を映し出す鏡という永遠のテーマだ。
横浜美術館でヌード展と題した展示会が開かれている。西洋近現代美術における裸体表現の変遷に焦点をあてた斬新な展示会で、僕も前々から開催を楽しみにしていた。
古典文学・神話・聖書に題材を求める歴史画から日常生活に根ざした室内空間を覗き見たようなヌード画へ、それからキュビズム、ドイツ表現主義、ヴォーティシズム、レアリスム、シュルレアリスム、フェミニズムへと話が展開していく。
この展示で一際注目を集めているのがロダンの接吻だ。
あの考える人で有名な彫刻家ロダンは、等身大を越える大きさの作品を生涯で片手で数えられる程しか作っていない。接吻はそのうちのひとつ。
なぜあえて巨大な像にしたのか。
キスという儚く刹那的な行為を力強い不滅な存在にしたかったと解釈されることが一般的らしい。
その問いに僕が自分なりに答えるなら「視界の占有率を上げることで作家の目指す構図に近づけるため」となんだか一見冷たい回答になってしまう。
“彫刻は絵画と違って立体的だ”
これは少し厳密性に欠ける発言だけれど、どう頑張っても全貌を一点から見ることが出来ないと言い換えれば問題がないだろう。
接吻は、周りをぐるっと一周できるように展示されている。周りを歩くと、彫刻の見え方がみるみる変わっていく。男と女の視界を占める割合が変わっていく。構図が変わることで2人のパワーバランスも揺らぐ。
直前まで絵画を見ていたからか、その変化の効力を如実に感じ取ることが出来た。
この彫刻は瞬間を切り取っているわけではない。確実に動いている。
止められた時の中で僕が彼らをジロジロ見ていたわけではなくて、この男女は僕の目の前で熱烈な接吻を繰り広げていたんだ。なんて奴らだ。
うん、キスって良いよね、役割がより曖昧でフェアだから。
キスをする2人が題材になった彫刻をじっくりと見れたからこそ気付けた感覚だ。大切にしたい。