僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

ハイレッド・センターのスコアを残す


僕の一番好きな現代美術作家である森村泰昌さんが恵比寿で個展を開催している。

初日はオープニングセレモニーとして、東京都写真美術館学芸員森村泰昌本人でトークショーが行われた。

その中で印象に残った内容をまとめておく。


f:id:bokunosikou:20180612225143j:plain

森村泰昌にこの道へ進むキッカケを与えたのは、高校生時代に手に取った美術手帖に載っていたハイレッド・センターだった。

ハイレッド・センターは、1963年に結成された高松次郎赤瀬川原平中西夏之を中心とする前衛芸術グループで、作品という物体を作るのではなく制作の行為そのものを作品にしていた。

今回の展示会では、その3人がそれぞれよく題材にしていた素材(ロープ・洗濯バサミ・紙幣)を用いて、写真作品・映像作品を新たに制作した。

森村泰昌が同じ題材で写真作品と映像作品を制作するスタイルを取るのは今に始まった事ではない。

同様のスタイルで製作された1990年のマルセル・デュシャンへのオマージュ作品『星男』(初めてのビデオ作品)や、2010年の暗黒舞踏大野一雄の『ラ・アルヘンティーナ頌』も今回の展示会に出されていて、時代を跨った作品の変遷を追うことが出来る。


f:id:bokunosikou:20180612225054j:plain

以下、発言内容の抜粋(ニュアンス)です。


1. 時代に育まれる身体感覚

昨今の芸術界では、1980年代をいよいよ検証するぞというムードになっている。

僕は1985年に初めての絵画ポートレート作品を作ったから、その矢面に立たさせることも多々あるけれど、好む好まざるによらず多くの影響を受けたのは青春を謳歌した60〜70年代だ。

みんなが歩いていく方向に背くことで身体がチグハグになるときにこそ、自分のアイデンティティを感じられるという60,70年代の身体感覚を、2018年に生きる森村泰昌という作家を通して世界に放り込んでみたかった。

明らかに僕とは別の身体感覚を持った若い人たちにどう映るのか気になる。


2. 滅びゆくものへ

どうやら尼崎の近くに星野リゾートができるらしい。あの誰もさわれなかった、アンタッチャブルな街に。

経済というものが押し寄せてくることによってなし崩し的に変化していく。

変化のサイクルが早くなると「何に価値を置くべきか」その思考が希薄になってしまう。

そのサイクルが人間のサイクルを越えてしまえば、、僕が生きているのにも関わらず僕の知らない街に変わっていくことになる。

何かが変わるということは確実に何かが滅びていくこと。

滅びゆくものにある種のレクイエムを送るのが、芸術の本質的なあり方だと思う。


3. 生と加工

僕は、結局のところ生なもんの方が美味しいんじゃないかなと思うんですよ。

やっぱりお刺身が美味しい。

でも、釣り上げたばかりの魚にかぶりついてるわけじゃない。素晴らしい包丁さばきでスパーってね。加工してあるけど生なの。

生写真とかいうように、写真は今まで生ものだった。

けれど、目まぐるしい加工技術の進歩で写真が生なのかわからなくなってきている。

それはつまり、良い悪いではなく写真に記録媒体としての機能がなくなったことを意味している。

僕がやっているセルフポートレートはもちろん自分じゃなきゃいけない。

際限なくイジれるということは、自分が希薄化してしまう恐れがある。

時代は変わっていて、この新しい作品はデジタルなんでフィルムがないんですよ。

銀塩はよかったけれど、それだけの作品で展示するという思考ではない。

今風の技術を使っているし、あんなことやこんなこともしてみたくなる。

今を生きる表現者としてのスタンディングポジションを未だに模索している私を、割と素直にいつも見せている気がする。


4. 演奏と記譜

僕の作品はなりきりアートやパロディなどと形容されてきたが、僕は兼ねてから“真似る”という言葉を使ってきた。

真似るは学ぶの語源。

私がやっていることは、真似ることで何かを学ぶことだ。

最近になってもう一つ良い表現を見つけた。それは、スコア、記譜するという言葉。

楽譜はアーカイブ資料としての価値がある。先人たちも私たちに残してくれている。

60年代に残されたスコアを2018年の私たちがどう演奏するのか。

私も1つのケースとして演奏の仕方を見せている。