優位性に逃げない
高文脈的な言語を使っている僕たち日本人は、常に人間関係を最重要な問題としている。
KY→コミュ障→アスペ→忖度などと言葉を変えながらも、“気持ちを汲み取るべき”という強迫観念は強大な支配力を持ち続けている。
「I.Qが20離れると話が通じない」と「アスペは空気が読めない」
メンサに発達障害者が多いという事実から考えて、どちらの説も同じ状況に対する対極的な視点から行われた論理性の低い考察なのだろうと思う。
会話が円滑に行えていない原因を自分or相手が優れている/劣っているからという優劣を帯びた部分に求める風潮が実に気持ち悪い。
そうすることで話が通じないのはしょうがないことだと結論付け、会話をやめる。
仮にI.Qや障害が理由だと自分の中で推測したとしても、ではどうやったらそういう人たちと会話ができるかを考えることにこそ意味があるはずなのに。
「どうやったら世間が“会話の難しいとされている状況”から回避するのではなく打開策を考えるようになるか」
重要だとは思っても実際に考えている人は少ない。動いている人は更に少ない。
僕は“哲学カフェ”にその可能性を見出したのかもしれない。