僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

時間は解決してくれない



「時間が解決してくれる」というセリフは、悩みを抱えた人を慰める場面の常套句になっている。

ああでもないこうでもないと相談をしてお開きが近づくと決まって出てくる。

しかし、僕には“時間”が諸問題に万能薬として作用しているとは到底思えない。


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人間の悩みは全て対人関係の悩みであると言われるように、ひとつの問題には複数の当事者が存在する。

自分も当事者でありながら何もせずに問題が解決したのであれば、それは“時間”ではなく別の当事者が問題解決に尽力してくれたのではないだろうか。

課題の分離を放棄して別の当事者へ課題を押し付ける。卑怯者だ。それならそれで罪悪感くらいは持っておくのが道理だと思う。


そう考えている僕でも意図的に問題に時間を置くことがある。

それは、別の当事者に解決を委ねているわけではなく、時間を経て少なからず当時の自分ではなくなった新しい自分(と別の当事者)に解決してもらうことを期待している。

もちろんそれで上手くいくこともあれば上手くいかないこともあるが、上手く解決できたのならやはり“時間”ではなく新しい自分たちが解決したと言える。



放っておいても誰かに解決してもらえる問題は確かに多い。しかし、それでは解決は遅くなるばかりだ。

どれだけ早く解決するかを気にするのであれば、消極的当事者になるのはいつだって悪手に違いない。

僕たちはどの問題に対して積極的当事者でいるかを選ぶ必要がある。