2018年下半期の展覧会
昨年は1年で133、今年の上半期は80、下半期は26。僕の中で美術鑑賞の波は大きくうねっていて、今はちょうど小さい時期のようだ。
思い返してみると確かに趣味の時間をその分“食”に費やした下半期だった。
例によって印象的だった展覧会をまとめておく。
Pop, Music & Street キース・ヘリングが愛した街 表参道
http://www.nakamura-haring.com/exhibition/
無料だとは思えない量の作品群に、表参道ヒルズという立地。表参道の路上にドローイングするヘリングの姿を捉えた秘蔵写真も世界初公開されていた。表参道でやることに意味があった展覧会。
モネ それからの100年
モネの睡蓮といっても、サイズや構図や色彩、かなりのバリエーションが存在する。僕自身も今までにもたくさん観てきたけれど、このチケット絵柄になっている山形美術館所蔵の睡蓮には特別感動させられた。
花咲く睡蓮の池の水面に木々や雲が映り込み、実と虚が絡み合いながら迫り来る画面。「何を描くかは二の次で、本当に表現したいものは、描くものと自分の間に横たわる何かだ」というモネの信念が強く現れている気がした。
アジアにめざめたら アートが変わる、世界が変わる 1960-1990 年代
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/asia/
昨年大成功を収めたサンシャワーに代表されるように、アジアの美術といえば90年代以降の現代アートに限定されていたように思う。
社会条件が揃うと決まって展開する都市化・産業化と並行した脱植民地化・民主化・脱中心化の流れをいくつかの都市でピックアップし、近代美術の目覚めを見つめ直す。
日本と韓国は60年代、東南アジアは70年代、中国は80年代。時間軸をあえて排除し、文化の発展段階で串刺しにした比較形式がこの展覧会の特徴。新規性がある。良い論文を読んでいるような気分だった。
マルセル・デュシャンと日本美術
上野で同時に開催されているムンク展とフェルメール展の影に隠れてしまった展覧会。フィラデルフィア美術館のアジア初巡回展で網羅的にデュシャンの作品を見られるとあって、現代美術に関心があるなら行かない選択肢はなかった。
『階段を降りる裸体』『大ガラス』がやはり特に印象的だった。
東山魁夷展
https://bijutsutecho.com/exhibitions/2250
唐招提寺御影堂襖絵の再現展示が圧巻だ
った。仕切りの制限がない巨大な展示室を持つ国立新美術館だからこそできた展示形式。初期作品の『残照』『道』は元々知っていたけれど、晩年の作品は更に煌めきを増していて素晴らしかった。千住博が影響を受けたに違いない白馬シリーズは込められた生命力が凄まじい。
ムンク展―共鳴する魂の叫び
誰もが知る『ムンクの叫び』が日本初上陸した。
夕陽とフィヨルド。巨大な自然を前にして桟橋という心細い抵抗に身を委ねるしかない人間の無力さと不安。なぜこんなにも切迫した状態に人は叫び出さないのか。叫んだのも聞いたのも自分自身だったのかもしれない。叫ぶことがより自然なことで、うねりながら自分と自然が同化する。
2019年開催の気になる展覧会一覧
イサム・ノグチと長谷川三郎 ―変わるものと変わらざるもの
アルヴァ・アアルト もうひとつの自然
福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ
百年の編み手たち ― 流動する日本の近現代美術
クリスチャン・ボルタンスキー展 ― Lifetime