僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

表現媒体のシガラミ


人間は日常的に他人の物語をインスタントに摂取している。

映画・ドラマ・舞台・コント・漫才・音楽・小説・漫画・絵画・写真あたりがメジャーどころで、そのどれにも興味がないという人はなかなかに珍しい。

趣味として掲げる人も多く、たとえば映画が好きだといえば当たり前のように一番好きな映画を聞かれる。

そこで答えに詰まって、良い映画とはどういうことなのだろうかと考える。

CGが綺麗?後に残る?何回も観たくなる?メッセージ性が強い?制作費が高い?有名な俳優が出ている?

どれもしょうもない項目ばかりだ。

いや、それ以前にどの表現媒体を使おうと他人の物語であることには変わりないのに、あるひとつの表現媒体の中だけで優劣を決めようとすることにはどんな正当性があるのだろうか。


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表現媒体ごとの得意不得意をあえて無視したような小説っぽい漫画や舞台っぽいコントや写真っぽい映画をよく見かける。

「原作の方が良かった」という感想が溢れるとわかっていながらも派生作品は増えていく。

表現媒体をズラす理由は、表現媒体に縛られる消費者が圧倒的に多いからに違いない。映画しか観ない人、小説しか読まない人、音楽しか聴かない人。

何をどう描きたいかではなくどんな人に鑑賞してほしいかで表現媒体が選ばれている。

自分が新しいと感じても他の表現媒体では使い古された手法かもしれない。


僕は比較的さまざまな表現媒体で他人の物語を摂取しているようだ。

より抽象的に物語を噛みしめているから表現媒体による違いに鈍感なのだろうと思う。

どの媒体でも良いなら沢山の媒体に触れていた方がバリエーション豊かで質の高い物語を収集できる気がする。

だから、これからも出来る限り手段を絞らないでいたい。