僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

「君の名前で僕を呼んで」のイミ



君の名前で僕を呼んで、僕は僕の名前で君を呼ぶ。


初めて体を重ねたときにそんなことを囁かれたら、え?なんて言ったの?って聞き返してしまうと思う。どんなプレイなんだよって。



映画「君の名前で僕を呼んで」は第90回アカデミー賞で4部門にノミネート、そして見事に脚色賞を受賞した。

1983年の北イタリアを舞台に、17歳の少年エリオが大学教授の父親を手伝うためにやってきた男子大学院生オリヴァーに恋をする物語だ。

f:id:bokunosikou:20180524225525j:plain

このタイトルの本質を考えるにあたって、ストーリーの中に入り込むのか、筆者の存在を考慮に入れるのかによって、その解釈は大きく変わってくる。



2人の関係性だけでシンプルに考えるなら、相手の名前であるかのように自分自身の名前を口にすることは高度な融合状態を助長する働きがある。

特に年齢差があり相手に劣等感を抱いている状態で尊敬心からくる恋愛感情だったからこそ、そのセリフは効力を強く発揮したのだろうと推測できる。

お互いの名前で呼び合うことは、異性に比べて同性相手なら幾分かは受け入れやすいかもしれない。



さて、本題はここから。

エリオ/オリヴァー/エリオの父親、この3人は全て筆者のアンドレ・アシマン自身なのではないかという興味深い指摘を見かけた。各登場人物の役柄が筆者の生い立ちと上手くマッチしている。筆者は若き日をイタリアで過ごし、舞台になっている80年代には大学院生、そして今は大学教授をしているのだ。


エリオの父親は筆者に一番近い人物像だ。簡単に言えば、今の自分。この物語はエリオとオリヴァーの恋愛沙汰がメインなのにも関わらず、ラスト前のシーンで長々と核心に触れるような言葉をエリオにかける父親の姿はとても違和感がある。しかし「今の自分が17歳の自分に直接話しかけられるなら」という想いを汲み取るとすれば合点が行く。エリオの父親という形で自分自身をそのまま物語の中に組み込んだのかもしれない。

オリヴァーはエリオの父に似た人生を歩むことがすでに暗示されている。それを裏付けるかのように、(映画では扱われていないが)小説の終盤でオリヴァーの息子がエリオという名前だと明かされる。

そして、エリオは父親やオリヴァーとは違う人生を歩む可能性をまだ持っていた頃の自分だ。

つまり、この物語は、今の自分(エリオの父親)が今に繋がる自分(オリヴァー)とまだ他の道が残された自分(エリオ)の関係性の揺らぎを見つめ直すことで、意図的に手放した可能性を想う深い後悔を描いているのではないだろうか。

タイトルはエリオの中で反芻された裏切りのセリフになる。



オリヴァーが結婚することとなり、2人の関係性は崩れてしまう。その後、15年間を経て直接会うことになる。


オリヴァー:僕たちは年を取っても、あの若者2人のことを話し続けるんだ。たまたま僕たちと同じ列車に乗り合わせた他人みたいに。

エリオ:僕はまだ、その若者を他人と呼ぶ心の準備ができていないのかもしれない。



過去の自分を別人と割り切れば、常に新しい自分として身軽でいられる。日々求められる一貫性という検問を通るのも比較的容易になるかもしれない。

過去は意図的に切り落とさなくても、痛みもなく壊死して崩れ落ちていってしまうものだ。人間が本来そういう生き物なのかもしれない。

だから、過去の自分に血を通わせ続けることは非常に難しい。

どの過去の自分も今の自分の一部として否定せずに自分であり続けてほしい。

欲張りで馬鹿げた考えかもしれないけれど、過去の自分とともに生きていきたい強く思った。


僕は今ちょうどオリヴァーと同い年。僕は17歳の僕を切り捨てずに生きていけるだろうか。

彫刻のユラギ

芸術としてのヌードは、人間にとって身体という最も身近なテーマであると同時に、人間の内面を映し出す鏡という永遠のテーマだ。


横浜美術館でヌード展と題した展示会が開かれている。西洋近現代美術における裸体表現の変遷に焦点をあてた斬新な展示会で、僕も前々から開催を楽しみにしていた。

古典文学・神話・聖書に題材を求める歴史画から日常生活に根ざした室内空間を覗き見たようなヌード画へ、それからキュビズムドイツ表現主義、ヴォーティシズム、レアリスム、シュルレアリスムフェミニズムへと話が展開していく。


この展示で一際注目を集めているのがロダンの接吻だ。

あの考える人で有名な彫刻家ロダンは、等身大を越える大きさの作品を生涯で片手で数えられる程しか作っていない。接吻はそのうちのひとつ。

なぜあえて巨大な像にしたのか。

キスという儚く刹那的な行為を力強い不滅な存在にしたかったと解釈されることが一般的らしい。

その問いに僕が自分なりに答えるなら「視界の占有率を上げることで作家の目指す構図に近づけるため」となんだか一見冷たい回答になってしまう。


“彫刻は絵画と違って立体的だ”

これは少し厳密性に欠ける発言だけれど、どう頑張っても全貌を一点から見ることが出来ないと言い換えれば問題がないだろう。

接吻は、周りをぐるっと一周できるように展示されている。周りを歩くと、彫刻の見え方がみるみる変わっていく。男と女の視界を占める割合が変わっていく。構図が変わることで2人のパワーバランスも揺らぐ。

直前まで絵画を見ていたからか、その変化の効力を如実に感じ取ることが出来た。

f:id:bokunosikou:20180522002533j:plain

f:id:bokunosikou:20180522002633j:plain

f:id:bokunosikou:20180522002707j:plain

この彫刻は瞬間を切り取っているわけではない。確実に動いている。

止められた時の中で僕が彼らをジロジロ見ていたわけではなくて、この男女は僕の目の前で熱烈な接吻を繰り広げていたんだ。なんて奴らだ。

うん、キスって良いよね、役割がより曖昧でフェアだから。

キスをする2人が題材になった彫刻をじっくりと見れたからこそ気付けた感覚だ。大切にしたい。


加速するシコウ

手持ちの問い。いつ何時でも頭の机に広げてある。

そうやってアンテナを張っておけば、何気ない日常に隠れたヒントも見落とさなくて済むかもしれないから。

時には、そのちょっとしたヒントが怖いぐらいに繋がっていって、思いもしなかった考えに至ることがある。

人に説明するにはあまりに複雑に絡まっていく。そういうときは決まってまだこの連鎖は続くのかと面倒になる。

だからといって、自分では止められない。速度が落ちるまで待つしかない。


5月の初めに「君の名前で僕を呼んで

という映画を観た。どういう意味なのか考えずにはいられないタイトル。

答えを探しながら映画を観たけれど、エンドロールが終わってもそのタイトルは依然として僕の問いのままだった。


それからこの問いが僕の机の真ん中を陣取った。

旧約聖書ユダヤ教的解釈、ムーンライトの支配的な青色、ロダンの接吻のオリジナル、東京レインボープライド、アンドレ・アシマンが書いた原作小説、モネのポプラ並木、僕自身の人間関係、時間経過と同一性を考える哲学カフェ。

これほど多角的な事柄が思考の扉を開ける鍵になるのは、僕にとって珍しいことだ。加速する思考にクラクラしながらも、非日常的な爽快感に当てられて一種の興奮状態に導かれた。


自分のすべてをヒントに自分だけの答えへ昇華させる。この一連の流れが与えてくれる快感は替えが効かないから本当に困ってしまう。


f:id:bokunosikou:20180521031101j:plain

そうだ、兵庫に行こうべ。

6月に友達と二人で兵庫旅行してきました!

最初は神戸旅行のはずだったのに、あっちも行きたいこっちも行きたいと言っていたら兵庫旅行に…。

 

まず、朝一で明石海峡大橋

f:id:bokunosikou:20170711011850j:plain

神戸から電車で25分ぐらい。

本州と淡路島を結ぶ全長4kmの世界最長の吊り橋です。

レインボーブリッジの吊り橋部分は800mしかないと考えるとやっぱりデカイ。

f:id:bokunosikou:20170711012731j:plain

近くから見てももちろんデカイ。そしてイケメン。

舞子海上プロムナードでは東京タワーやスカイツリーみたいにガラスの窓の上に立つことができます。普通に怖かった…。

f:id:bokunosikou:20170711011912j:plain

プロムナードは9:00からなのに、舞子公園内にある孫文記念館・旧武藤山治邸・旧木下家住宅は10:00にならないと開かないのでご注意を。

f:id:bokunosikou:20170711012743j:plain

 

旅行といえば城。

兵庫の城といえば、姫路城。

f:id:bokunosikou:20170711011958j:plain

江戸時代以前に建設された天守が残る現存十二天守の一つで有名ですよね。世界遺産でもあるし。

姫路城の高さは、石垣が15m、大天守が32m。

中は6階建になっていてエレベーターはないから階段で登らないといけません。結構疲れました。

f:id:bokunosikou:20170711012018j:plain

天気を心配していたけれど、真っ白な城は曇り空に同化して逆に綺麗。

f:id:bokunosikou:20170711012757j:plain

姫路城の隣に位置する好古園は手入れの行き届いた綺麗な庭園。

f:id:bokunosikou:20170711012029j:plain

姫路城との共通パスがお得なのでついでに行くのがオススメ。

f:id:bokunosikou:20170711012039j:plain

 

神戸のグルメといえば、洋食でしょ。

甘い考えで超有名店の洋食の朝日に行ってみたら60分待ち。

弾丸旅行だけど、美味しいもののためなら時間がかかってもしょうがない…。

f:id:bokunosikou:20170711012820j:plain

クリームコロッケにメンチを追加で!

友達からビーフカツをちょっともらったら、最強のミックスプレートでっきた♪

f:id:bokunosikou:20170711012108j:plain

 

お腹がいっぱいの状態で歩いて、

モダン寺→生田神社→神戸ムスリムモスク→風見鶏の館→北野天満神社

f:id:bokunosikou:20170711012125j:plain

 

あつい、あつすぎる…。

お風呂はいりたい。神戸でそう思ったら、なんと30分で有馬温泉にいけちゃうんだもんなー、いい街だ。

古くは日本書紀にも登場し、日本最古の温泉とも呼ばれる有馬温泉有馬温泉のお湯は、空気に触れて金(茶)色に濁る金泉と無色透明の銀泉に大きく分けられます。

f:id:bokunosikou:20170711012302j:plain

せっかく来たなら両方入りたいって人のために金の湯と銀の湯の2館券もあります。湯比べができて850円は安い。

金の湯の方が人気なようで、銀の湯はだいぶ空いていました。

お風呂上りのビールは格別でした。有馬川親水公園地ビールを乾杯。

f:id:bokunosikou:20170711012352j:plain

 

神戸といえば中華街も有名。

f:id:bokunosikou:20170711012313j:plain

南京町はみなとみらいの中華街に比べると店じまいが早いみたい。豚饅頭発祥のお店に行けなかったの残念。

普通の肉まんで我慢。

f:id:bokunosikou:20170711012325j:plain

 

メリケンパークは本当に綺麗だった。

f:id:bokunosikou:20170711012410j:plain

今度は六甲山から1000万ドルの夜景見てやろう。

f:id:bokunosikou:20170711012852j:plain

神戸港の夜景が見えるように無料で開放されている神戸市役所1号館の展望フロアからはちょうどポートタワーが見えません。

f:id:bokunosikou:20170711012432j:plain

実はホテルオークラがあえてそうなるようにホテルの建設を行ったそうです。なんだか嫌は話だ。

f:id:bokunosikou:20170711012449j:plain

神戸花時計も神戸のシンボル。

 

高架線下のお店の外壁がセンス抜群だったり、

大阪ほどせかせかしていなかったり、

街のサイズ感がちょうどよかったり。

うん、好きになりました。

 

次回は、奈良かな。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

哲学カフェ「自分の言葉で語る意味とは何か」

ハンターハンターが連載再開した直後の恒例行事“一気読み直し”真っ最中の、ゆいです。


忙しい中、インカレ哲学カフェサークルonecafeの第130回に参加してきました。参加者は10人、まとめ以外は2グループに分けて対話が進みました。


いつも通り、ルールは、
・専門用語を使わない
・人の話は最後まで聞く
の2つ。


今回のテーマは「自分の言葉で語る意味とは何か」でした。
・虚偽は自分の言葉になり得るか
・経験をもとにしていなくても自分の言葉になり得るか
・語ると話すの違い
・自分の言葉で語っているかは自分が決めるのか
などが主な話題になりました。


今回のテーマでは、必然的に哲学カフェという活動の根幹に近い部分を取り扱うことになりました。
グランドルールでもある「専門用語を使うな」というルールを裏返せば、「自分の言葉で語れ」という意味になるからです。
言葉を発する段階で相手が想定されいるときには、相手に自分の意思をできるだけ正確に理解してもらうための言葉選びをすることになります。
そのオリジナルの言葉選びの結果を自分の言葉と呼ぶのであれば、それは相手の言葉の域で話をすることと置き換えても良いのかも知れません。
専門用語を使う懸念事項として、受け手が理解できないことの他に、誰に責任がある言葉なのかが曖昧になってしまうことが挙げられると思います。
僕の中では自分の言葉と呼ぶには他者から聞いて教わった言葉の意味を理解しているだけでは不十分で、理解から共感の次元にまで昇華するために自分の人生の中に実体験を見つける必要があります。
その行程を省いてしまうと「偉大な◯◯が言っていたから正しい」という対話において取るに足らない発言になってしまう。
咀嚼する方法の一つとして自分自身の経験があるだけで、(今のところ思いつかないですか)他にもあるのかもしれないですね。
ただやはり実体験が伴っていない人の言葉は響かないな。

f:id:bokunosikou:20170710013645j:plain
今回お邪魔したのは、新宿のルミネ内にあるWIRED CAFEさん。
3分の1程度の席が通路と同化しているのが特徴で、声のボリュームにあまり気を使う必要がないのが嬉しい!
ルミネtheよしもとの真下にお店があって、ライブが終わるたびに満足してテンション爆あがりしてる若者が溢れ出てくるから、負けじと対話を盛り上げがち。

f:id:bokunosikou:20170710013735j:plain

晴れた休日は新宿御苑に行きたくなりますね。

御苑の芝生に座りながら話した「偏見の基準とは何か」はツイキャスで録音↓が聴けますよ。

cas.st

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

哲学カフェ「何があれば/無ければ『自由』になるのか?」

こんだけ暑いのに夏っぽさがないのはまだ蝉が鳴いてないからだと気づいてしまった天才、ゆいです。


Ante-tableの13th tableに参加してきました!
先月に初参加してから二度目の訪問です。


今回の参加者は司会を含めて9人で、哲学カフェ自体が初めての人も3人いらっしゃいました。
哲学カフェとしては珍しく1つも絶対的なルールを設けていないことがAnte-tableの特徴です。
偉い人の言葉を使うのも、人の話を遮るのもオッケーと明言されたので、僕もあえてやってみました。新鮮な感覚…。病みつきになってはいけないぞと自分に言い聞かせました。


今回のテーマは「何があれば/無ければ『自由』になるのか?」でした。
・選択権の有ることが自由なのか
・我慢か忍耐かは誰がどうやって決めるのか
・自由だと幸せなのか
・不自由だと不幸せなのか
などが主な話題になりました。


何かを選ぶということは、常に何かを選ばないこと。
選ばなかった選択肢のメリットを享受できないことを我慢や不自由と呼ぶのは間違っていると思います。
そのマイナスよりも大きいプラスを得られると思って、より良い選択肢を選んでいるはずだから。


自由すぎると自分から不自由を求める。
エーリッヒ・フロムが自由からの逃走で述べていることでもありますが、自由は孤立することであって、人間は孤立することの絶望的な恐怖から逃れるために自由から逃れることを選択することが多い。
孤独感の他に、僕は責任の重圧も関係していると思っています。
すべてに選択権を持っている状況では、何かを選んだ自分にすべての責任が付いてきてしまいます
その重圧に耐えられる人間はそういないでしょう。
こう考えると、自由=幸せとはなかなか言えない気がします。
意識的か無意識的かは置いておいて、自由になりすぎないように自分で自分に課す不自由のことを、今回の会ではいつの間にか「理想的な不自由」と呼んでいました。面白い言葉ですね。
理想的な不自由の存在をみんなが認められる世界になるといいな。

f:id:bokunosikou:20170709015853j:plain
今回お邪魔したのは、九段下駅から徒歩10分弱のギャラリー册(さく)さん。
ガラス張りで光を多く取り入れた店内は、至る所にお皿や瓶が飾ってある素敵空間でした。
月の満ち欠けでメニューが変わるオーガニックムーンティーを注文。
満月のお茶は、レモンパーム・ラズベリーリーフ・マリーゴールド・ひまわり・ヤグルマハッカなどが入っていました。
ココロとカラダに調和をもたらす効果があるそうです。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

哲学カフェ「好意とは何か」

これから台風が来るたびに低気圧に殴られると思うと気分がどんよりな、ゆいです。


僕が以前に代表をしていたインカレ哲学カフェサークルonecafeの第129回に参加してきました。


今までonecafeでは事前にテーマを決めて人を集めていましたが、今回は実験的に当日集まった人でテーマを決める方式で哲学カフェを行ってみました。
その理由としては、最近のonecafe参加者の多くがテーマ内容ではなく日時で参加を決めていることが大きいです。
そもそも、同じ哲学カフェと言えど、事前にテーマを設けている場合と当日にテーマを決める場合では、完全に別物
テーマを設けているなら、事前に自分で考えをまとめてくることができます。
それに比べて、当日にテーマを決める場合では、事前に考えてくることはできない代わりに、協議の上で参加者の話したいテーマ設定にすることができる利点があります。
さながら漫才と大喜利のようだと僕は思っています。
どちらの方が面白いと決められるものではないですが、スタイルに合わせてそれぞれ最適化されたやり方も模索していく必要があるので、日々試行錯誤していかないと…。


参加者は9人だったので、2つのテーブルに分けました。
3分間のブレストで出た候補の中で一番人気なテーマに決めました。


いつも通り、ルールは、
・専門用語を使わない
・人の話は最後まで聞く
の2つで。


今回のテーマは「好意とは何か」でした。
・好意と性別は関係があるのか
・恋人と友達の違い
・興味と好意は別物か
などが主な話題になりました。


同性と異性で向ける好意が違う」という意見からスタートしたため、終始性別を軸にした話し合いになってしまいました。
ここで言う性別とは、性自認のことなのか、それとも性的指向のことなのか
その答えは、かなり混ざり合っているようでした。
確かに性自認で考えたときの同性には異性よりも憧れを持ちやすいと僕自身も思うことがあります。
こういう人になりたいと思う人は、たいてい男なので。
性対象に覚える好意を人はなんだか美化して表現しようとしているような気がします。
もっと欲にまみれた話のはずだし、問答の流れからはそうなっているはずなのに、あんまり納得してもらえない…。
人間の悪いところなのか良いところなのか、性愛をロマンチックに捉えすぎている面がある。つくづく都合の良い生き物ですね。
哲学カフェという場くらい、かっこつけずに話せるといいなと思いました。

f:id:bokunosikou:20170706004532j:plain

今回お邪魔したのは、最近よく使わせてもらっている新宿の珈琲タイムスさん。
オシャレな雰囲気で昔ながらの喫茶店です。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ