僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

本当のレイギ

何か誘った場合、断られるときなら、 「今日は予定があって行けません。また今度誘ってください!」 その日、たまたま予定が空いていて会ったとしても、 「今日は楽しかったです。また今度誘ってください!」 やたらと言われる。また今度誘ってくださいって…

人間のレベル

残念なことに人間にはレベルが存在する。 レベルを測る観点は基本的に三つある。 このように、経験したことが学びに昇華する確率を学習率と定義することとする (鈴木先生より抜粋 )。 人間のレベルを測る指標としてを使うのは、客観的事実を見るだけで一番簡…

意志のソツウ

いつからか趣向品扱いなんだ。 見栄えがいいから、窮屈で酸素の薄いワイングラスに入れられる。 意思の疎通なんて出来てない。 美しさしか受け取る気がないんだから。 苦しさも必死さも、美しさに変わって伝わる。 体からにじみ出る毒でグラスをいっぱいにし…

唯一のソンザイ

自分は何のために生まれてきたのか。 誰しもが意識したことがある一番大きな問いではないだろうか。 自分の存在意義を持っていれば生きていくのが楽になると直感的に思う。 本当はそんなものなんてないのかもしれないが、生きている意味なら後付けでも素晴ら…

社会のハグルマ

塾講師、家庭教師、ライター。 僕が今までやってきたアルバイトは、あまりお客様にへりくだった態度を取る必要がないものだった。おまけに民度も高い。 しかし、この世の中では不当な扱いを受けずに生きていくのは至難の技だ。きたる社会の暴風雨に備えて、…

哲学はメガネ

哲学はメガネだ。ボンヤリしていた輪郭がハッキリと捉えられるようになる。(実際には、そのつもりになっているだけかもしれないが、)生活にとても役立つ。 しかし、人間の目は見えすぎると疲れるものだ。度が合わないメガネをかけて渋谷を歩いたら、すぐに酔…

シコウって。

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”だ。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。 まさにこのブログは、『僕のシコウ』だ。 ※報告※ 特に理由もないけど、ツイッターにリンクを貼ることにしました。 たぶんもう少し日常…

価値観をファッションとして楽しむ

近年の多様性を重んじる風潮は、優しさという暴力だとも感じる。 自由度が高すぎるがために、自分の価値観をすべて細かく取捨選択していかなくてはならない。 それが楽しいと感じる者もいれば、億劫だという者もいるだろう。 それはまさにファッションが好き…

理由の見当たらない愛

甘やかす。それは、論理的に考えるより良い扱いをしてもらうことだ。 僕は、皆と同じように甘やかされたいと思うのと同時に、甘やかされるのが強いとも思う。 なぜ甘やかしてもらえているのか、その理由もわからないままに優しくされるのは本当に怖い。 もし…

教育者としての責任

自分の子供が、高層ビルの屋上から飛び降りてみたい!と言ったら、どうするか。 当たり前のように止めるだろう。 仰々しく言えば、子供のやりたいことを大人の権限で止めるわけだ。 しかしながら、今はのびのびと教育する方針が誉めたたえられている時代だ。…

でをがに、よをねに。

なんだその呪文と思うかもしれない。 強いて言えば、これは人間関係をうまく回すための潤滑油を生み出す呪文だ。 「○○でいい」は、気にしないで使うと上から目線になる。 「60パーセントの出来でいいから、早く出して」譲歩している表現であるから、すべて…

リアルとフィクション

僕たちが住む世界の日常には、多くのフィクションが含まれている。 人間は自らフィクションを求めるかのように、娯楽として楽しんでいる。小説、映画、演劇、お笑いなど挙げればきりがない。 全人類が、フィクションを現実のエッセンスと無意識に認定してい…

二分法

二分法は、コインのように表でないなら裏、裏でないなら表という関係が成り立つ場合に使うことが可能である。 つまり厚さが無視できる場合を想定しているわけだから、表と裏のどちらでもない側面が広くなればなるほど、適応する妥当性が下がることになる。 …

異性との友情

恋愛感情と友情の関係性をどう定義するか。 「恋愛感情=友情+性欲」 と定義するのならば、性欲を覚えない異性においては友情が成り立つことになる。ただし、相手が性欲を覚えるなら友情のみの関係性にはなり得ない。 性欲に関しては触れ合う時間が多ければ…

自分探しの旅の意味

自分探しの旅をすれば、本当に自分が見つかるのだろうか。 インドにバックパッカーしに行った人はみな、自分を知っている? 自分探しの旅自体にはとても意味があると僕自身感じるが、たぶん自分を見つけることはできないと思う。 そもそも見つけてしまったら…

価値観はぶつけない。

ここ最近、「価値観をぶつけ合う」という表現に違和感を覚える。 いわゆる意識高い系のグループでよく使われている言葉だと思う。 お互いが自らの価値観を握りしめ、掛け声とともにぶつけ合う。ときに、どちらかが壊れることもあるかもしれない。それを了承…