僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

2019-01-01から1年間の記事一覧

語彙のリョウイキ

先日、友達から共通の知り合いとのやりとりを聞かされた。「君は古めかしい形容詞をよく使うねって馬鹿にされたけど、逆にあいつはあいつでやたら新しい名詞を使ってくる」と不満そうに言っていた。使用する語彙の幅が人によって大きく違っていて、それが広…

遺産のセイフ

東京オリンピックが近づいてきた。チケット抽選は大盛り上がり、スカイツリーのライトアップではもうカウントダウンが始まっている。自分の住んでいる都市でオリンピックが開催されるなんて一生で一回あるかどうかだということは分かっているけれど、それで…

芸人のタワゴト

お笑い芸人という職業は、社会的地位と引き換えに規格外な“言論の自由”を獲得していた。たとえ台本を自分で書いていようとも、芸の中での台詞が本人の価値観を順接的に示しているとは限らない。だから何を言ってもいい。漫才やコントはもちろん、平場のトー…

経験のシンビガン

同じ絵画を見ても、同じ合唱曲を聴いても、同じ空気を吸っても、同じパフェを食べても、同じ手を触っても。その受け取り方は人によって異なる。そうだとすれば、同じ経験で何かを推し量ろうとする経験至上主義にはどれほどの妥当性があるのだろうか。自分の…

怒りのキガカン

僕は怒るのが好きだ。カッとなる。ムッとする。イラっとする。そんな自分に気付いたときに僕はワクワクする。また少しだけ自分を知ることができるから。アンガーマネジメントの大鉄則とされるように、大抵の怒りは数秒だけ我慢すればいとも簡単に萎んでしま…

味のビガク

どちらも美しい味と書くからには、おいしいとうまいは同じような意味を持つ形容詞なのだろうか。「おいしいはうまいを丁寧にした表現だ」と断言されてしまうとどうも違和感が残る。うまいからといって必ずしもおいしいとは限らないしその逆もまた然り。牛丼…

物語のイデンシ

かれこれ10年近く聴いているラジオに、20世紀少年の作者である浦沢直樹がゲスト出演した。彼はその番組内で「石ノ森章太郎はサイボーグ009を描き切れず亡くなってしまったけれど、僕にはエヴァンゲリオンにその神との戦いの続きが描かれているように見える」…

合意のアジケナサ

出会い系はマッチングアプリに改名し、印象までも一転させた。間違っても遊び人とは呼ばれないタイプの若者でさえ、今では当然のようにマッチングアプリに登録している。いやむしろ、そういう人たちの方がマッチングアプリを上手く使いこなして恋人を作って…

美のキョウカ

ミロのヴィーナスは、両腕がないからこそ各々の想像力によって特殊から普遍への飛翔が可能であり、未完ゆえに完成している。そんなに格好を付けて言うことでもなくて、歯科医院のお姉さんも街で通り過ぎていく人々もマスクをしているだけで脳内補正が仕事を…

感性のホゾン

とうとう新元号が発表された。天皇の退位に伴う改元は憲政史上初めてらしいけれど、平成生まれの僕たちには改元そのものが初めての体験で、なんとも表現できないソワソワ感を共有していた。でも大っぴらに気にかけた素振りをしてはダサいような、心なしか昭…

人生のシュヤク

演技は人生の本質であり、誰しも同時並行でいくつもの物語に多様な役で出演している。しかしながら「人の数だけ物語は存在する」とは思えない。他人の人生の脇役を勤めるだけで満足して、自分の人生でも主役になれていない人が沢山いるからだ。脇役止まりと…

表現媒体のシガラミ

人間は日常的に他人の物語をインスタントに摂取している。映画・ドラマ・舞台・コント・漫才・音楽・小説・漫画・絵画・写真あたりがメジャーどころで、そのどれにも興味がないという人はなかなかに珍しい。趣味として掲げる人も多く、たとえば映画が好きだ…

職業のキセン

「職業に貴賤なし」という言葉はだれしも聞いたことがあると思います。これは独学で儒教を学んだ江戸時代の思想家である石田梅岩の教えだそうです。士農工商(天下万民の職業)の階層は社会的職務の相違であり、人間価値の上下や貴賤に基因しない。今でもスロ…