僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

職業のキセン



「職業に貴賤なし」という言葉はだれしも聞いたことがあると思います。

これは独学で儒教を学んだ江戸時代の思想家である石田梅岩の教えだそうです。

士農工商(天下万民の職業)の階層は社会的職務の相違であり、人間価値の上下や貴賤に基因しない。

今でもスローガンのように耳にするのは、その感覚が根付いていない、つまり職業による貴賎が存在すると思っている人が多いからなのではないでしょうか。


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貴賎に限らずとも職業に付随されるイメージがこれほどまでに定着しているのは、メディアの立ち振る舞いによるところが大きいと思います。

職業と関係のないニュースでさえも職業を付け加えて報道する。それは順接的または逆説的に各職業のあるべき姿を刷り込む結果となっています。

そうして得たイメージを基に日常的な会話の中でさえ職業から個人の価値や特性を邪推する習慣が、世間一般に広がっているように感じます。


政治家・医者・弁護士・教授・教師のような先生と呼ばれる職業だからといって、常にだれからも褒められるような言動をするわけではない。

すべての大学教授が模範的な子育てをしているとは限らないし、そうするべきなのは大学教授だからではなく一親だからである。

そんな当たり前のことがまだまだ認識されていない事実を、絶え間なく繰り返される炎上の中に見出さざるを得ません。

SNSで個人が職業を背負って気軽に発言できるようになったこの時代だからこそ、職業を個人から切り離し個人を多面的な存在として認識する感覚をスタンダードに据えなくてはみんなが生きにくいはずです。


良いニュースでも悪いニュースでもメディアが情報のひとつとして個人の職業を報道するかぎりは、職業の貴賎という感覚を根絶するのは難しいでしょう。

それでも個人単位で出来る抵抗として、職業と個人を切り離す目線は常に意識しておきたいところですね。