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僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

CGとリアリティー

いつもなら観た映画の感想は、Filmarks( https://filmarks.com/user/yuimmdgp )に記録するところだが、あまりに一本の映画を逸脱した思考に発展してしまったため、ブログに載せておく。

 

一昨日、ディズニーの実写映画『ジャングル・ブック』を映画館で観た。
シン・ゴジラの上映時間がどうも合わなくて消去法的な選び方ではあったが、
ディズニー映画に育ててもらった自負がある僕は、半ば義務感に突き進められるようにして座席に着いた。

 

今この映画は、「主人公以外すべてがCG」を合言葉に注目を集めていて、
ネットでもCGがリアルだと評判になっている。
最近の映像美を売りにする映画にありがちな感想に、僕は前々からなぜだか違和感を覚えていた。
この違和感は加速していく一方で、CGを使うこと自体が何か間違った方向に進んでいる気さえした。
このジャングル・ブックを観ながら、僕はやっと自分の違和感の正体の尻尾を掴んだ。

 

CGがなんでも作れるからこそ、
台本通りの、監督の思うがままのものが出てきてしまっている。
つまり、出来すぎているのだ。
躍動感みたいなものやリアリティみたいなものであって、やはり本物ではない気がしてならなかった。
CGは空想を具現化できても、作り手の空想を超えることは出来ない。
予定調和的映像になる。
それが必ずしも悪いわけではないが、
表現方法としてのCG技術よりも、
表現した対象を評価をするべきだ。
CGまで使って表現したかったことは何なのか。
CGを使わないと表現できなかったことは何なのか。
そこに焦点を当てて考察しないことには、その映画の良さは語れないと思う。

 

この映画がCGを使ってまで表現したかったのは、動物の表情にある気がした。
正義感の強い黒豹、能天気なクマ。
各動物の顔から性格まで読み取れた。
まさか自分にそんな能力があったなんて吃驚だ。
そんなうぬぼれすら与えてくれるほどに、CG技術の向上を感じた。
人間はまだしも動物に関しては、どう考えてもアニメーションの方が表情が伝わってくる。
アニメーションの動物は人間に寄せて表情を作っているからだ。
リアリティを追求し、CGで本物そっくりの動物を作り上げれば、
自ずと表情は読み取りにくくなるはず。
CGにリアリティを求めるのはやはり見当外れだろう。


アニメーション映画のジャングル・ブック(1968)は、ウォルトの遺作で有名だ。
内容が人種差別的だと批判されていたらしい。
深読みが過ぎる気もするが、当時はそれほど人種差別に敏感な時期だったことがわかる。
それから50年経って、同じ内容の映画をみても人種差別を感じる人は居なくなった。
しかし、人種差別問題は解決していない。
世界レベルでの人権問題解決に、どれほど時間がかかるのか。
ジャズ調の音楽を聴きながら、ぼんやりと考えてしまった。