僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

加速するシコウ

手持ちの問い。いつ何時でも頭の机に広げてある。

そうやってアンテナを張っておけば、何気ない日常に隠れたヒントも見落とさなくて済むかもしれないから。

時には、そのちょっとしたヒントが怖いぐらいに繋がっていって、思いもしなかった考えに至ることがある。

人に説明するにはあまりに複雑に絡まっていく。そういうときは決まってまだこの連鎖は続くのかと面倒になる。

だからといって、自分では止められない。速度が落ちるまで待つしかない。


5月の初めに「君の名前で僕を呼んで

という映画を観た。どういう意味なのか考えずにはいられないタイトル。

答えを探しながら映画を観たけれど、エンドロールが終わってもそのタイトルは依然として僕の問いのままだった。


それからこの問いが僕の机の真ん中を陣取った。

旧約聖書ユダヤ教的解釈、ムーンライトの支配的な青色、ロダンの接吻のオリジナル、東京レインボープライド、アンドレ・アシマンが書いた原作小説、モネのポプラ並木、僕自身の人間関係、時間経過と同一性を考える哲学カフェ。

これほど多角的な事柄が思考の扉を開ける鍵になるのは、僕にとって珍しいことだ。加速する思考にクラクラしながらも、非日常的な爽快感に当てられて一種の興奮状態に導かれた。


自分のすべてをヒントに自分だけの答えへ昇華させる。この一連の流れが与えてくれる快感は替えが効かないから本当に困ってしまう。


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そうだ、兵庫に行こう!

6月に友達と二人で兵庫旅行してきました!

最初は神戸旅行のはずだったのに、あっちも行きたいこっちも行きたいと言っていたら兵庫旅行に…。

 

まず、朝一で明石海峡大橋

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神戸から電車で25分ぐらい。

本州と淡路島を結ぶ全長4kmの世界最長の吊り橋です。

レインボーブリッジの吊り橋部分は800mしかないと考えるとやっぱりデカイ。

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近くから見てももちろんデカイ。そしてイケメン。

舞子海上プロムナードでは東京タワーやスカイツリーみたいにガラスの窓の上に立つことができます。普通に怖かった…。

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プロムナードは9:00からなのに、舞子公園内にある孫文記念館・旧武藤山治邸・旧木下家住宅は10:00にならないと開かないのでご注意を。

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旅行といえば城。

兵庫の城といえば、姫路城。

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江戸時代以前に建設された天守が残る現存十二天守の一つで有名ですよね。世界遺産でもあるし。

姫路城の高さは、石垣が15m、大天守が32m。

中は6階建になっていてエレベーターはないから階段で登らないといけません。結構疲れました。

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天気を心配していたけれど、真っ白な城は曇り空に同化して逆に綺麗。

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姫路城の隣に位置する好古園は手入れの行き届いた綺麗な庭園。

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姫路城との共通パスがお得なのでついでに行くのがオススメ。

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神戸のグルメといえば、洋食でしょ。

甘い考えで超有名店の洋食の朝日に行ってみたら60分待ち。

弾丸旅行だけど、美味しいもののためなら時間がかかってもしょうがない…。

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クリームコロッケにメンチを追加で!

友達からビーフカツをちょっともらったら、最強のミックスプレートでっきた♪

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お腹がいっぱいの状態で歩いて、

モダン寺→生田神社→神戸ムスリムモスク→風見鶏の館→北野天満神社

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あつい、あつすぎる…。

お風呂はいりたい。神戸でそう思ったら、なんと30分で有馬温泉にいけちゃうんだもんなー、いい街だ。

古くは日本書紀にも登場し、日本最古の温泉とも呼ばれる有馬温泉有馬温泉のお湯は、空気に触れて金(茶)色に濁る金泉と無色透明の銀泉に大きく分けられます。

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せっかく来たなら両方入りたいって人のために金の湯と銀の湯の2館券もあります。湯比べができて850円は安い。

金の湯の方が人気なようで、銀の湯はだいぶ空いていました。

お風呂上りのビールは格別でした。有馬川親水公園地ビールを乾杯。

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神戸といえば中華街も有名。

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南京町はみなとみらいの中華街に比べると店じまいが早いみたい。豚饅頭発祥のお店に行けなかったの残念。

普通の肉まんで我慢。

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メリケンパークは本当に綺麗だった。

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今度は六甲山から1000万ドルの夜景見てやろう。

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神戸港の夜景が見えるように無料で開放されている神戸市役所1号館の展望フロアからはちょうどポートタワーが見えません。

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実はホテルオークラがあえてそうなるようにホテルの建設を行ったそうです。なんだか嫌は話だ。

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神戸花時計も神戸のシンボル。

 

高架線下のお店の外壁がセンス抜群だったり、

大阪ほどせかせかしていなかったり、

街のサイズ感がちょうどよかったり。

うん、好きになりました。

 

次回は、奈良かな。

 

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哲学カフェ「自分の言葉で語る意味とは何か」


忙しい中、インカレ哲学カフェサークルonecafeの第130回に参加してきました。参加者は10人、まとめ以外は2グループに分けて対話が進みました。


いつも通り、ルールは、
・専門用語を使わない
・人の話は最後まで聞く
の2つ。


今回のテーマは「自分の言葉で語る意味とは何か」でした。
・虚偽は自分の言葉になり得るか
・経験をもとにしていなくても自分の言葉になり得るか
・語ると話すの違い
・自分の言葉で語っているかは自分が決めるのか
などが主な話題になりました。


今回のテーマでは、必然的に哲学カフェという活動の根幹に近い部分を取り扱うことになりました。
グランドルールでもある「専門用語を使うな」というルールを裏返せば、「自分の言葉で語れ」という意味になるからです。
言葉を発する段階で相手が想定されいるときには、相手に自分の意思をできるだけ正確に理解してもらうための言葉選びをすることになります。
そのオリジナルの言葉選びの結果を自分の言葉と呼ぶのであれば、それは相手の言葉の域で話をすることと置き換えても良いのかも知れません。
専門用語を使う懸念事項として、受け手が理解できないことの他に、誰に責任がある言葉なのかが曖昧になってしまうことが挙げられると思います。
僕の中では自分の言葉と呼ぶには他者から聞いて教わった言葉の意味を理解しているだけでは不十分で、理解から共感の次元にまで昇華するために自分の人生の中に実体験を見つける必要があります。
その行程を省いてしまうと「偉大な◯◯が言っていたから正しい」という対話において取るに足らない発言になってしまう。
咀嚼する方法の一つとして自分自身の経験があるだけで、(今のところ思いつかないですか)他にもあるのかもしれないですね。
ただやはり実体験が伴っていない人の言葉は響かないな。

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今回お邪魔したのは、新宿のルミネ内にあるWIRED CAFEさん。
3分の1程度の席が通路と同化しているのが特徴で、声のボリュームにあまり気を使う必要がないのが嬉しい!
ルミネtheよしもとの真下にお店があって、ライブが終わるたびに満足してテンション爆あがりしてる若者が溢れ出てくるから、負けじと対話を盛り上げがち。

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晴れた休日は新宿御苑に行きたくなりますね。

御苑の芝生に座りながら話した「偏見の基準とは何か」はツイキャスで録音↓が聴けますよ。

cas.st

 

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哲学カフェ「何があれば/無ければ『自由』になるのか?」


Ante-tableの13th tableに参加してきました!
先月に初参加してから二度目の訪問です。


今回の参加者は司会を含めて9人で、哲学カフェ自体が初めての人も3人いらっしゃいました。
哲学カフェとしては珍しく1つも絶対的なルールを設けていないことがAnte-tableの特徴です。
偉い人の言葉を使うのも、人の話を遮るのもオッケーと明言されたので、僕もあえてやってみました。新鮮な感覚…。病みつきになってはいけないぞと自分に言い聞かせました。


今回のテーマは「何があれば/無ければ『自由』になるのか?」でした。
・選択権の有ることが自由なのか
・我慢か忍耐かは誰がどうやって決めるのか
・自由だと幸せなのか
・不自由だと不幸せなのか
などが主な話題になりました。


何かを選ぶということは、常に何かを選ばないこと。
選ばなかった選択肢のメリットを享受できないことを我慢や不自由と呼ぶのは間違っていると思います。
そのマイナスよりも大きいプラスを得られると思って、より良い選択肢を選んでいるはずだから。


自由すぎると自分から不自由を求める。
エーリッヒ・フロムが自由からの逃走で述べていることでもありますが、自由は孤立することであって、人間は孤立することの絶望的な恐怖から逃れるために自由から逃れることを選択することが多い。
孤独感の他に、僕は責任の重圧も関係していると思っています。
すべてに選択権を持っている状況では、何かを選んだ自分にすべての責任が付いてきてしまいます
その重圧に耐えられる人間はそういないでしょう。
こう考えると、自由=幸せとはなかなか言えない気がします。
意識的か無意識的かは置いておいて、自由になりすぎないように自分で自分に課す不自由のことを、今回の会ではいつの間にか「理想的な不自由」と呼んでいました。面白い言葉ですね。
理想的な不自由の存在をみんなが認められる世界になるといいな。

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今回お邪魔したのは、九段下駅から徒歩10分弱のギャラリー册(さく)さん。
ガラス張りで光を多く取り入れた店内は、至る所にお皿や瓶が飾ってある素敵空間でした。
月の満ち欠けでメニューが変わるオーガニックムーンティーを注文。
満月のお茶は、レモンパーム・ラズベリーリーフ・マリーゴールド・ひまわり・ヤグルマハッカなどが入っていました。
ココロとカラダに調和をもたらす効果があるそうです。

 

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哲学カフェ「好意とは何か」


僕が以前に代表をしていたインカレ哲学カフェサークルonecafeの第129回に参加してきました。


今までonecafeでは事前にテーマを決めて人を集めていましたが、今回は実験的に当日集まった人でテーマを決める方式で哲学カフェを行ってみました。
その理由としては、最近のonecafe参加者の多くがテーマ内容ではなく日時で参加を決めていることが大きいです。
そもそも、同じ哲学カフェと言えど、事前にテーマを設けている場合と当日にテーマを決める場合では、完全に別物
テーマを設けているなら、事前に自分で考えをまとめてくることができます。
それに比べて、当日にテーマを決める場合では、事前に考えてくることはできない代わりに、協議の上で参加者の話したいテーマ設定にすることができる利点があります。
さながら漫才と大喜利のようだと僕は思っています。
どちらの方が面白いと決められるものではないですが、スタイルに合わせてそれぞれ最適化されたやり方も模索していく必要があるので、日々試行錯誤していかないと…。


参加者は9人だったので、2つのテーブルに分けました。
3分間のブレストで出た候補の中で一番人気なテーマに決めました。


いつも通り、ルールは、
・専門用語を使わない
・人の話は最後まで聞く
の2つで。


今回のテーマは「好意とは何か」でした。
・好意と性別は関係があるのか
・恋人と友達の違い
・興味と好意は別物か
などが主な話題になりました。


同性と異性で向ける好意が違う」という意見からスタートしたため、終始性別を軸にした話し合いになってしまいました。
ここで言う性別とは、性自認のことなのか、それとも性的指向のことなのか
その答えは、かなり混ざり合っているようでした。
確かに性自認で考えたときの同性には異性よりも憧れを持ちやすいと僕自身も思うことがあります。
こういう人になりたいと思う人は、たいてい男なので。
性対象に覚える好意を人はなんだか美化して表現しようとしているような気がします。
もっと欲にまみれた話のはずだし、問答の流れからはそうなっているはずなのに、あんまり納得してもらえない…。
人間の悪いところなのか良いところなのか、性愛をロマンチックに捉えすぎている面がある。つくづく都合の良い生き物ですね。
哲学カフェという場くらい、かっこつけずに話せるといいなと思いました。

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今回お邪魔したのは、最近よく使わせてもらっている新宿の珈琲タイムスさん。
オシャレな雰囲気で昔ながらの喫茶店です。

 

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哲学カフェ「『いくらまでなら寄付できる?』をどうやって決める?」


あたまの中を散歩するてつがくカフェに参加してきました。
この哲学カフェは前回レポしたAnte-table同様さろんラボの協力で、だいたい3ヶ月に1回を目処に開催されています。
今回の参加者は、司会を含めて5人。パッと見、常連さんが多いようでした。


設けているルールは、
・わからないからはじめる
・人の言葉をじっくり聞く
・わからない時はきちんと立ち止まる
の3つ。
哲学カフェの名前からもわかるように、わからないことをポジティブに捉えて「あれ?」と思ったときに立ち止まりやすい雰囲気づくりのためのルール設定と人数規模にしていました。

 

さてさて、今回のテーマは「『いくらまでなら寄付できる?』をどうやって決める?」でした。
・無償の寄付は存在するのか
・寄付にはどんな種類があるのか
・なぜ寄付をするのか
・なぜ寄付をしないのか
などが主な話題になりました。

 

日本は圧倒的な寄付後進国だと言われていて、先進国では飛び抜けて一人当たりの寄付額が少ないそうです。
それには色々な理由がありますが、宗教的な文化の違いと税金の制度の違いが大きく、「寄付教育」が上手くいっていないからという原因分析はあまりに的外れ(寄付教育ってかなり気持ち悪いワードですよね)。

デューク大学が行った実験では、寄付者の名前を公開した場合と非公開の場合では公開した方が寄付の回数は多いという結果が出ています。
日本では著名人の寄付が偽善行為や売名行為だと受け取られ炎上していまうことが度々あります。
謙虚こそが美徳であって自慢は悪であるとするのが日本人のマインドだとヒシヒシと感じます。
しかし、やはり寄付という行為自体は良いことであって、他者から承認されて然るべきです。この日本人の空気感も寄付文化定着への逆風になっている気がします。

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今回お邪魔したのは、onecafeでもよく使わせてもらっているカフェ・ラヴォワさん。

 

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哲学カフェ「他者の関わらない幸/不幸はあるのか?」


Ante-tableの12th tableに参加してきました!Ante-tableは、さろんラボの協力で月一回定期的に開催されているそうです。
今回の参加者は、司会を含めて8人哲学カフェ自体が初めての人は1人もいなくて、常連+哲学カフェ巡りが趣味の人で構成されていました。
哲学カフェとしては珍しく、1つも絶対的なルールを設けていないそうで、「説明を求めるかもしれないが別に専門用語を使っても構わない」とおっしゃっていました。
全体が2時間の哲学カフェで、ちょうど真ん中にブレイクタイムを設け、そこで関連資料を配布するスタイル。その資料はA4片面一枚、専門的な内容が載っているわけではなくテーマに沿った会話文でした。


さてさて、今回のテーマは「『他者』の関わらない幸/不幸はあるのか?」でした。
・他者が関わる・関わらないの基準はどこにおくか
・他者に認められないと幸せと言えないのか
・他者が関わる幸せは質が低いのか
などが主な話題になりました。

 

僕の考えでは、他者が“関わらない”幸/不幸は1つも存在しないけれど、他者の存在を“意識していない“幸/不幸は少なからず存在する。
プラスとマイナスのどちらかで言えばプラスという精神状態だったとしても、幸せだなんて大層なほどではないこともある。
そもそも、幸せや不幸せの認定という行為は日常的に行わない人が大半だろう。
例えば、今回の哲学カフェの入りのように「最近、幸せだったことは何ですか?」と聞かれると、他者に理解してもらえるだろうと踏んでいる幸せの例を出そうする。つまりハードルが高いはず。
「本来、幸せかどうかの判定は本人の中で感覚的・自動的にされてしまうものであって、理論的に根拠を求める必要はない」という意見も理解はできるが自分の幸せを口に出して人に伝えるとなれば、ある程度の根拠を見出そうとするのが一般的なのではないだろうか。
その根拠の一種として“客観性”があって、他者に幸せだと認定してもらいたがるのは客観性を獲得したいからという側面があるのかもしれない。
そう考えると、自分の幸せをSNSで発信する見栄はり合戦も否定的には見れない。
しかしながら、幸せの根拠を他者にだけ依存していては幸せだと言えることが減ってしまう気がする。
幸せを多く感じたいのであれば、自己完結的な幸せの根拠をたくさん見つけておかないといけない

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今回お邪魔したのは、神楽坂駅から徒歩1分のギャラリー&カフェ ミカドさん。
スタッフ一押しの野イチゴソーダが甘酸っぱくて美味しかったです。


とりあえず間違えなく言えるのは、幸せって何だろう?と思いをめぐらせながら寝るのは幸せだということ!

 

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