バナナのポテンシャル
バナナジュースがマイブーム!
よく考えると生まれてこのかた不味いバナナジュースなんて飲んだことないし、
バナナジュースという飲み物自体、もしくはバナナという果物自体のポテンシャルってバカ高いんじゃないかって。
あまり知られていないけど、東京の中心部にはバナナジュース専門店がいくつかあるんです。
まず、八丁堀の"そんなバナナ"。
初めてなら絶対にこれとお勧めされるプレーンのバナナジュース(380円)。
+20円で豆乳追加、+50円でシリアル追加可能です。
今回はフルグラを追加。
上を少し飲んでから、スプーンで食べる。
うまぁーーーーーーー。
そして、東銀座の"バナナジュース"。
なんの捻り名前こそが自信の表れ。
実はこのお店、幻のお店と呼ばれるほどに開店している日が少ないんです。
決まった曜日にやっているわけでもなく、バナナが完熟したときにだけ開店します。
その日にバナナが熟れているかどうかは公式のツイッターで確認できますよ。
ブランドバナナのジュースは時価で値段が変わるようです。
僕が行った日は、沖縄のもちっ娘バナナが完熟に(350円)!
小ぶりでもちもちした食感で酸味の少ない甘々なバナナです。
さらにチョコクッキー(30円)を追加トッピング。
うますぎる…。
牛乳とバナナだけでこの味なのか…。
粘度が高すぎて面白いほどに減らないw
一杯飲むだけでお腹に結構溜まります。
値段と満足度から考えるとコスパ良すぎ!
スタバのフラペチーノ飲んでる場合じゃないわ。
哲学カフェ「結婚とは何か?」
4/15に行われた西千葉哲学カフェに参加してきました。
まず参加者一人ひとりに自己紹介がてらファシリテーターからの問いに答えてもらうのが西千葉流。
今回のテーマは「結婚とは何か?」だったので「結婚という制度は本当に必要なのか」という問いかけからスタートしました。
"本当に"が少し引っかかりましたが、だいたいの人が必要だと回答していました。
僕の中で結婚は"子供を守るための制度"です。
悪く言えば、人口を増やしたい国家の策略だと思います。
確かに人間は他の動物に比べて子育ての期間が長いため、制度で縛らないでも子供を一人前に育てられる確率を保証できるかといえば、あまり自信がない。
結果として、結婚したいと思う人が結婚できる制度になれば一番良いとは僕も思いますが、条件の緩和とサービスレベルの向上の両立を要求するのは少し贅沢すぎる気もします。
やはり哲学カフェを通してああでもないこうでもないと話しても、結婚をするべきなのはどういう人か行き着く先を一つに決めることはできませんでした。
今や人々の結婚する根拠は僕たちの思っているよりも驚くほど多様化しているようです。
参加者の中には事実婚や任期制結婚をされている珍しい方もいらっしゃって、独自の結婚観を聞くことが出来ました。いい経験になりました。
西千葉哲学カフェは基本的に月に1度の開催ですが、戸谷さんの都合で次回はまだ未定。
頻度を下げるないし違う人にファシリテーターをお願いすることも検討中らしいです。
次回開催を楽しみにしています。
速読のツカイドコロ
速読とは、文を、文章を、本を、早く読み内容を理解すること。
速読法と一括りに語られることが多いが、文の速読法、文章の速読法、本の速読法の間には常にイコール関係が成り立つわけではない。どちらかといえば包含関係の方が適切である。
そして、本を早く読む方法の中で文章を早く読む方法ではない部分こそが、速読における一番のポイントだと僕は思っている。
自己啓発本やhow-to本の類は、特に速読のしがいがある。
「2割読めば、8割わかる」とよく言われるように、馬鹿正直にすべてのページを読む必要はない。
いちいち読み飛ばすことに罪悪感を覚えていてはキリがないので、買わずに読めるような本屋やブックカフェで読むのがオススメだ。
どこの2割を読むのか、自分の中でルールを決めておくべきだろう。
ちなみに僕は、前書きと目次は飛ばさずに読む。
それから気になった項目を中心に目を通す。
面白い本だったら、あとがきも読む。
一冊を読むのにかかる時間は、メモをとりながらでも長くて一時間。
しかし、小説はそうはいかない。
好きなところだけ読むような本ではないから。
文の速読法を用いることさえ憚れる。
漫才やコント、音楽を早送りしないのと同じように、
小説には決められてリズムや呼吸がある。
時間をかけて一字一句を味合うものだ。
速読力を鍛えることは大切だが、使い所を間違えてはならない。
おしゃれハンバーガーはハンバーグへの冒涜論
1904年アメリカで開催されたセントルイス万国博覧会の会場で、サンドイッチのように丸いパンにハンバーグをはさんで売り出したのが、ハンバーガーの始まりである。
同博覧会では、アイスクリームのコーンも登場したことが知られている。
つまり、食器を使わずに持ち運びができるようにすることで、博覧会を見ながら食べられる食べ歩きグルメとして考え出されたことは明らかである。
ハンバーガーは、パンにハンバーグを挟むことで手軽に食べられることを目的とした料理だ。
そういう意味では、マクドナルドやモスバーガーなど価格帯も低く持ち帰りもしやすいチェーン店は、本来のハンバーガーの目的をよく理解している。
しかしながら、最近では、自由が丘や代官山などのおしゃれタウンを中心に、ファストフードから逸脱したハンバーガーが流行っている。
お皿で綺麗に盛り付け、重力に逆らうようなデザイン性を串でなんとか保っている。
もちろんナイフとフォークを使って食べる前提の食べ物である。
お店の席でナイフとフォークを使える状況ならば、普通にハンバーグを食べれば良いのではないだろうか。
おしゃれハンバーガーとハンバーグでは価格帯も変わらないのだから。
哲学カフェ「子どもが幸せな社会とは」
4/9に行なわれた小金井哲学カフェに参加してきました。
今回のテーマは「子どもが幸せな社会とは」でした。
主に、地域性の崩壊、痛みを感じる機会の喪失、大人の過剰な介入、反出生主義、出自を知る権利、離婚、共働きなどが話題にあがりました。
参加者の中で僕が一番若いと一目で確信できるほど年齢層も高く、平均も45歳を越えていたと思います。
そのせいもあってか、無意識的に「"大人の考える"子供の幸せな社会」になってしまっていたのではないかと少し反省気味です。
大人の身勝手な行為・決断が子供を幸せから遠ざけているにも関わらず、大人たちがそのことに悪びれてすらいないのであれば、権利が十分に保障されていない社会的弱者である子供の幸せはいつまでも実現されないでしょう。
子供の幸せな社会を考えるにあたって、子供の目線から離れすぎていることはかなりの痛手。
参加者の中でこの違和感に気付いたのは、僕だけかもしれません。
哲学カフェに参加する場合、ファシリテーターではなく一参加者であったとしても、テーマ設定から事前に注意しなくてはならない点を考えておかなくてはならない。
メロン味のメロンパンはメロンパンではない論
「私、メロンパン好きなんですよー」
「どこのメロンパンが好きなの?」
「最寄り駅の目の前にあるパン屋さんの、夕張メロンクリームが中に入ってるメロンパン!」
「それ、メロン味のメロンパンじゃん」
「いや、ホントおいしいんですってー」
「それメロンパンが好きとは言えないでしょ!」
パン生地の上にビスケット生地を重ねて格子状の溝を入れて焼いたパンは、なぜメロンパンと呼ばれるのか。
実はハッキリとわかっていないらしい。
- 高級フルーツとして人気だったマスクメロンにあやかろうとマスクメロンの模様に似た格子状の溝を入れた説
- 偶然ひび割れたビスケット生地がマスクメロンに似ていた説
- ビスケット生地に使うメレンゲがなまってメレンゲ→メロンゲ→メロンになった説
ただいずれにせよ、メロンパンにはメロンが入ってないんだ!
メロンパンには多様なアレンジレシピがあって、クッキー生地にチョコチップが練りこまれたバージョンや、中にホイップクリームを入れたバージョンもよく見かける。
それに比べても、メロン味のメロンパンは王道のようで邪道の中の邪道。
月島のもんじゃストリートにある「焼き立てメロンパン 月島 久栄」は、一日に1000個売れるというメロンパン専門店。
その店頭で流れている歌が恐ろしくキャッチー。
”あんぱんにはあんこがはいってる。メロンパンにはメロンがはいってない~。”
夜までやっているので、是非もんじゃの〆に。
桜のヨウリョク
今年は桜が咲くのが遅い。
例年ならもう春服でも寒くないぽかぽか陽気のはずなのに。
大学の桜もまだまだ満開にはならない。
この時期になるとみんなこぞって桜の名所に足を運ぶけど、その状況ってよく考えるとなんだが不自然で怖くない?
だって、大抵の人が梅も菜の花もバラもチューリップもネモフィラも見に行かないくせに、桜だけは見に行きたがるでしょ。
僕には、桜が妖力を持っていて人間を誘き寄せているように思える。
特に夜桜は格別に怖い。
門出と新生活が始まる時期。
桜にはすべての過去を良かった思い出に変換する効果があるのかもしれない、半ば無理矢理にでも。
桜に群がる人はみんな幸せそうだから、深く考えなくていいのかもしれないけどね。