僕のシコウ

僕のただの“嗜好”であり、同時に“至高”の“私考”。この“思考”は今はまだ“試行”中であるが、僕の“志向”に繋がっている。

MENSAのコンシンカイ

MENSAの懇親会に参加してきました!


今までも例会には何回か参加してきましたが、
60人規模の飲み会に参加するのは初めて。
もちろん新規メンバーばかりではなくいわゆる00ナンバーを有する古株さんも参加する例会だったので、少し緊張していました。

 

今回のイベントは『 ~Inspired by AMAG~』の名を冠しています。
AMAG(Asian Mensa Annual Gathering)とは、毎年アジア諸国で開催されてきたMENSA会員交流の場のことです。
AMAGに参加したくても参加できない人も多い中で、ちょうどAMAGが開催されている期間中に、今年AMAGが開かれる中国は広東省広州市の料理を食べながら親睦を深めようという趣旨のイベントでした。

 

年齢層はかなり高めで、学生は5%ぐらいだったと思います。
その分、人生の先輩と様々な話をできて、持って帰るものも多い会でした。


世間は狭いもので、最初の席で隣だった人は同じ高校出身、次の席で隣だった人は僕の大学のOBでした。
だいたい席替えをする前にFBの友達申請をして気づくから、また話しましょう!ってなってしまうんですが。

また、何かの例会でお会いしましょう。

 

IQ上位2%なんていう自慢になるか怪しい称号に満たしてもらえる承認欲求なんて高が知れている。


多種多様なバックグラウンドを持っている人と平等な立ち位置で話せることこそ、メンサの価値。

刑罰といじめのセンビキ

久々に哲学カフェサークルonecafeに参加してきました。

インカレ学生哲学カフェサークルonecafe on Strikingly

実は僕は昨年度までこのサークルの代表を務めていて、汗と涙と血を注いで育ててきたと言っても過言ではありません。

 

onecafeは日本初のインカレ哲学カフェサークルです。
ゼミの一環として大学の研究室でやっているような哲学カフェなんかよりも、バリエーション豊かなバックグラウンドを持った学生が集まってくるので、必然的に面白いコミュニティーになっていると思います。

 

さてさて、今回のテーマは『刑罰といじめに線引きができるか』

“正しいとされる法律や憲法も結局のところは多数決で変更が可能な制度といえる。では同じく多数派の論理でなされるいじめとはどこが違うのだろうか。集団における意思決定のなかでどのプロセスが正義を生み出しているのだろうか。”


以下、僕の見解です。

刑罰といじめの相違点は、その目的。
日本における刑罰の目的は、目的刑論と応報刑論の折衷案である相対的応報刑論で、明らかにいじめの目的とは異なるとわかるはずだ。

 

逆に、刑罰といじめの共通点は、罰せられる対象が少数であるという構図。
その構図を保ったままサイズが大きくなっている。
罰の正当性は、対象が大きくなればなるほど、保証される。

 

今採用されている刑罰の正当性は、哲学カフェでもよく扱われるテーマで、特に死刑制度は激しい論争になる。
1990年代から先進国が廃止を進める風潮があるため、存知国である日本ではよく話にあがっている。
そもそも、他の国はこうしているから、自分たちもという考え方に意味があるのだろうか。


第三者から正当性を判断される状況は、
子供同士には全くそんな気がないのに先生や親がいじめ問題だと大げさに取り上げてしまうケースと構図が似ていると思う。

 

フィリピンの殺害容認問題も同じ形に見える。
ドゥテルテ大統領が就任してからの2ヶ月で、麻薬関係者が1000人殺されたことが世界中で問題視されている。
しかし、ドゥテルテ大統領がこのような性格であることは就任前から周知されていたわけで、急に暴挙を始めたわけではない。
就任時の支持率は、91%だ。
つまり、フィリピン内ではこの容認されているのだ。
そんな中、オバマ大統領や国連が口を出してきている。

 

絶対的な正義がない以上、法も一つに決めることはできない。
最大公約数は見つけられても、最大公倍数を全世界で採用することは非現実的だ。

 

その国の特徴や段階によって異なった法が採用されるべきで、自分の持ち合わせる倫理観と相性が良くないだけなら、あまり周りからガヤガヤ言うべきではないだろう。

 

また、このテーマの議論においては、多数決の正当性を話す必要がある。
最近の話で言えば、イギリスのEU離脱がいい例になると思う。
多数決、特に一人一票制度の正当性は、有権者全員が最低限のレベルに達していることが必要だろう。

 

たとえば、3人兄弟がいる家族で意見の分布が、
子供3人:親2人になった場合、どう考えても親の意見が正しいとされるだろう。

 

絶対的な多数決の地位も怪しくなってきている。

君の名は、シン・ゴジラ

夏休みは毎年のように、超ヒットが期待される映画が上映される。


今年も、
待望のリメイク作ゴーストバスターズ
ディズニー驚愕のCG映画ジャングルブック
人気シリーズ最新作X-MEN:アポカリプス』など、
錚々たるメンバーが揃っていた。
その中でも君の名は。『シン・ゴジラが圧倒的二強だった。

 

僕はもちろん両方観た(というか上記5作品すべて観た)が、
みんなはどうなのか気になって、アンケートを取ってみた。

少なくとも片方を観た人は、約50%。

両方観た人は、約20%。

君の名は。VS シン・ゴジラ は、引き分けだった。

 

★シン・ゴジラ

庵野ワールド、最高だった。
第二形態のエラとか、第四形態の熱戦放射時の口の開き方とか、エヴァの世界が実写化されたかのようでワクワクした。
日本政府の意思決定能力を揶揄する発言は、1つひとつが胸に刺さる。
「会議をしないと動けない。それが民主主義だ」
「私の国は、大統領が決める。あなたの国は誰が決めるの?」
全体的にセリフと展開にスピード感があって、ついてこれない人もいる気がした。ソーシャル・ネットワークみたいに。

 

君の名は。

完全にデート向け映画。
アラを探して考察を加えるような映画ではないと思う。
一回観ただけでも、勢い良くは飲み込めない矛盾点がちらつくレベル。
恋人と一緒に頭お花畑状態でみると楽しめる。
とりあえず、神木くん可愛すぎ。
声だけでも十分演技力たけーわ。
鳥肌立ちっぱなしのシーンあった(冷房がきつかった説あり)
神木くんに、スカート脱いでください!って言われて断る女の子いんのか?笑

 

個人的には、シン・ゴジラの勝ち。

ただ、二回目映画館で観るなら、シン・ゴジラでも君の名は。でもなく、

どう考えても、ゴーストバスターズ

人物画家のシンジョウ

僕の中で、現代芸術家の“森村泰昌”が怒涛のフィーバーモードだ。
彼は、著名な画家の自画像に扮するセルフポートレイト写真で有名で、今日に至るまで一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続けている。

 

僕が彼の作品を初めて目にしたのは、大阪の国立国美術館で行われていた「森村泰昌:自画像の美術史―『私』と『わたし』が出会うとき」という個展だった。
大阪旅行のついでに立ち寄った美術館で、本当に偶然出会った。
彼の作品に僕の目は強奪されて、気が付いたら事前に作った分刻みタイムスケジュールが完全に破綻していた。

西洋の絵画から現代美術へと僕の美術的興味が移行している期間でもあって、彼の作品はストライクど真ん中だった。

 

彼は、狂信的なまでのリサーチを重ねた上で、オリジナルに自分なりの解釈を加えて一枚の写真を撮る。
三次元を二次元で表現しようとした絵画を、三次元を忠実に映し出す写真で再現する。
よくよく考えれば、絵画を写真で再現するという行為は、逆算的だ。
絵画に混じり込んだ嘘を取り除いたかのような写真は、ある意味でオリジナルの絵よりもリアルなのかもしれない。

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彼は、写真作品より知名度は劣るものの動画作品も多く生み出している。

動画作品の中で出てきた「人物画家には殺人鬼の血が流れている」という言葉は、今でもしっかりとその形を保ったまま僕の中に居座っている。
人物画家が持つのその筆は、絵の中の顔に傷をつけることも簡単だ。それはナイフを突き立てるのとなんら変わらない。

人物画を描くには、気持ち悪いほどに歪んだ愛と信頼と責任が必要なのだろう。
僕もよく絵を描くけれど、人物画は(課題を除いて)自分しか描けない。
人物画家の信条を少しばかり理解でき、人物画全般を見る目が変わった一言だった。


さて、実は9/2〜10/10まで、森村泰昌の個展が恵比寿で開かれている。

森村泰昌展 『私』の創世記

会場:
 第一部 卓上の都市 
  MEM(3F) 前期 9/2~10/2、後期 10/4~11/6
 第二部 彷徨える星男
  MEM(2F) 9/2~10/2
 第三部 銀幕からの便り
  NADiff Gallery(B1F) 9/2~10/10
時間:12:00~20:00 月曜休廊[月曜祝日の場合は翌日休廊]
電話:03-6459-3205
ナディッフ公式HP:www.nadiff.com

MEN公式HP:mem-inc.jp

 

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第三部の動画作品は、全部で2時間以上あるのでなかなか全部は観れないとは思うが、ぜひ行ってみてほしい。
おすすめは、星男髭女階段を降りる私の三つ。

 

開催場所がかなりわかりにくいところにあるので注意!

(電柱にあるヒントを頼りにすると迷いにくい)

約束のネバーランド

日本の漫画界で間違いなく一番人気の雑誌ジャンプ。
ONE PIECEと共に黄金期を支えたNARUTOBLEACHが立て続けに完結し、驚異的な人気を誇るHUNTER×HUNTERが無期限休載を発表した今、ジャンプは崖っぷちに立たされている。
伝説が抜けた枠で試し打ちされる読み切りや意を決してスタートした新連載が、中々次なる主力漫画になりきれていないのがジャンプの現状だ。

 

そんな中、また新しい連載が始まった。
次の月曜で5話目になる「約束のネバーランド」という漫画を
紹介したい。

 

原作:白井カイウ、作画:出水ぽすか

白井カイウは、本名・性別・生年月日非公表の謎に包まれた原作者。

以前に少年ジャンプ+に「アシュリー=ゲートの行方」「ポピィの願い」の2作品を発表している。「ポピィの願い」の作画を担当した出水ぽすかと意気投合して今回の連載にいたった。

出水ぽすかは、ジャンプ連載前から活動をしており、小学館コロコロコミックで「オレカモンスターズ冒険烈伝」「魔王だゼッ!! オレカバトル」を掲載していた。
また、pixivでは話題の絵師として有名で、Twitterのフォロワー数も4万人を超えている。

 

出水ぽすかpixiv(http://www.pixiv.net/member.php?id=33333)
出水ぽすかTwitter(https://twitter.com/demizuposuka?lang=ja)

 

独特な柔らかいファンタジーの世界観に目を惹かれる。画力は申し分なく、特にカラーで映える絵が得意そうだ。
巻頭やセンターカラーの回に期待がかかる。

 

肝心なストーリーは、
『母と慕う彼女は親ではない。
共に暮らす彼らは兄弟ではない。
ここグレイス=フィールドハウスは小さな孤児院。
至って平穏なこのハウスでささやかながらも幸せな毎日を
送る三人の主人公エマ、ノーマン、レイ。
しかし、彼らの日常はある日突然終わりを告げた・・・
子供達を待つ数奇な運命とは・・・!?』

 

この漫画は、いわゆるサスペンス漫画の部類に入る。
実は、週刊少年ジャンプでこのジャンルはかなり珍しい。
サスペンス漫画はストーリーの作り込みに時間がかかるため、週刊雑誌で出すのが難しい。
さらにサスペンス漫画は巻数にすると3〜8巻で完結するものが多いが、ジャンプは打ち切り以外の短期掲載に消極的だ。
逆に考えれば、連載に踏み切る前に原作の内容はだいぶ先までチェックが入っているのかもしれない。
兎にも角にも、ジャンプが新しい一歩を踏み出したことに変わりはないので、
しっかりと見守っていきたい。

 

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↓以下のURLで1話から3話が読めるので是非。
『約束のネバーランド集英社公式サイト(http://www.shonenjump.com/j/rensai/neverland.html)

理想のオコヅカイセイド

「今日の放課後、ビリヤードいこうよ」
「ごめん、今お金ないんだ。」

 

小さい頃から「お金ないから」という理由で、何かを諦めたり、何かを断られたりするのが苦手だった。

 

「お金ないから」という断り文句には、
①価格に見合う価値を見出せない
②魅力は感じるが手持ちがない
という、二つの読み取り方がある。

そもそも、嘘をついたり、はぐらかしたりする場合を除いて、

複数の読み取り方がある言葉を使うべきではないから、
お金がないという言い回しは適切ではない。

 

①なら、こっちが誘う人を間違えたのかもしれない。
②なら、誘うタイミングが遅かったのかもしれない。
両方とも気をつけた上で誘ったなら、やはり自分ではなく相手が悪いと思う。

 

そのとき、相手の問題点は、“計画性の低さ”だろう。
なにかやりたいことが出てきたときに、それに対して払えるお金が足りない。
それはやはり苦しいことだ。

 

その計画性を鍛えるためのシステムこそ、お小遣い制度なのだと思う。

 

しかしながら、その能力を育むためにはそれなりの額が必要で、僕の周りにはそれに満たない額しかもらっていない友達も多かった気がする。

 

子供にはやりくりが楽しくなるぐらいのお小遣いあげないと、ただ貧困生活に追い込むだけで何も意味がない。

 

調べてみると子供のお小遣い平均月額は以下のようになっている。
小学生、1000円
中学生、2500円
高校生、5300円

 

正直、この額では何もできない。
子供が自分の財布からお金を払うことになるものについては、

その度に臨時であげるのではなく最初から月額に組み込んでおくのが僕の中の理想だ。
例えば、病院代(定期検診、風邪程度の病気)、美容院代、洋服代、ディズニー代がそれに当たる。逆に組み込む必要がないのは、携帯代、塾代。
そうすることで自分で先読みをしたり、保険をかけたりする練習になると思う。

 

親は子供にお小遣いをあげる意味についてきちんと考えてほしい。

 

ちなみに僕も基本給は大体同じで、
小学生で1000円、中学生で3000円、高校生で5000円だった。
我が家ではそれに加えて、テストの点数に応じて出来高制のボーナスが支給されるシステムが採用されていて、
小学生のときなら100点の解答用紙一枚につき100円がもらえた。
中学高校になると、定期テストでクラス順位が5位以内の科目数×3000円。
塾に行く日は、授業の有無にかかわらず1日2000円。
他にも臨時収入編として、自分用の株があって配当金がそのままもらえるようになっていた。
月額計算したら、かなりもらっていたと思う。

 

自分に子供ができたらどうやってお小遣いをあげるのか。
だいたいの人が、自分が受けた教育をお手本にすると思う。
親はどういう意図でそのシステムを採用していたのか、聞いてみると面白いかもしれない。
大した理由が返ってこないのなら、参考にする必要もないだろう。

 

まだ気持ちが子供に近いうちに、一度考えておくことに価値を感じた。

CGとリアリティー

いつもなら観た映画の感想は、Filmarks( https://filmarks.com/user/yuimmdgp )に記録するところだが、あまりに一本の映画を逸脱した思考に発展してしまったため、ブログに載せておく。

 

一昨日、ディズニーの実写映画『ジャングル・ブック』を映画館で観た。
シン・ゴジラの上映時間がどうも合わなくて消去法的な選び方ではあったが、
ディズニー映画に育ててもらった自負がある僕は、半ば義務感に突き進められるようにして座席に着いた。

 

今この映画は、「主人公以外すべてがCG」を合言葉に注目を集めていて、
ネットでもCGがリアルだと評判になっている。
最近の映像美を売りにする映画にありがちな感想に、僕は前々からなぜだか違和感を覚えていた。
この違和感は加速していく一方で、CGを使うこと自体が何か間違った方向に進んでいる気さえした。
このジャングル・ブックを観ながら、僕はやっと自分の違和感の正体の尻尾を掴んだ。

 

CGがなんでも作れるからこそ、
台本通りの、監督の思うがままのものが出てきてしまっている。
つまり、出来すぎているのだ。
躍動感みたいなものやリアリティみたいなものであって、やはり本物ではない気がしてならなかった。
CGは空想を具現化できても、作り手の空想を超えることは出来ない。
予定調和的映像になる。
それが必ずしも悪いわけではないが、
表現方法としてのCG技術よりも、
表現した対象を評価をするべきだ。
CGまで使って表現したかったことは何なのか。
CGを使わないと表現できなかったことは何なのか。
そこに焦点を当てて考察しないことには、その映画の良さは語れないと思う。

 

この映画がCGを使ってまで表現したかったのは、動物の表情にある気がした。
正義感の強い黒豹、能天気なクマ。
各動物の顔から性格まで読み取れた。
まさか自分にそんな能力があったなんて吃驚だ。
そんなうぬぼれすら与えてくれるほどに、CG技術の向上を感じた。
人間はまだしも動物に関しては、どう考えてもアニメーションの方が表情が伝わってくる。
アニメーションの動物は人間に寄せて表情を作っているからだ。
リアリティを追求し、CGで本物そっくりの動物を作り上げれば、
自ずと表情は読み取りにくくなるはず。
CGにリアリティを求めるのはやはり見当外れだろう。


アニメーション映画のジャングル・ブック(1968)は、ウォルトの遺作で有名だ。
内容が人種差別的だと批判されていたらしい。
深読みが過ぎる気もするが、当時はそれほど人種差別に敏感な時期だったことがわかる。
それから50年経って、同じ内容の映画をみても人種差別を感じる人は居なくなった。
しかし、人種差別問題は解決していない。
世界レベルでの人権問題解決に、どれほど時間がかかるのか。
ジャズ調の音楽を聴きながら、ぼんやりと考えてしまった。