試行回数のゲンカイ
商業的にはハロウィンが終われば間髪入れずにクリスマスだ。
対して僕の心持ちはといえば、紅葉の見頃が終わってよくやく追いつく。
街の雰囲気もイベントも食べ物もクリスマス独特の仕様で、その節々が記憶と結びついているから一年のどんな日よりも思い出を遡りやすい。
何歳の時は誰といたか、何をしたか。
どれだってそれ自体が楽しい思い出であったことに違いはないけれど、今振り返ってみると同じことを繰り返していただけのようで物言えぬ寂しさに襲われる。
一対一の人間関係の在り方には無限の可能性がある。それは疑いようのない真実だ。
しかし、自分が生で体験できる関係性に限るのであれば、2人のうち片方が自分である時点で大きな偏りがあってもはや多様とは言えないのではないか。
刻一刻と自分が変わっていてもその変化の速度には限界がある。
映画でもアニメでも小説でもコントでも。あらゆる物語性を含む刺激は、登場人物の全てが自分ではない点で生の関係性よりも多様性がある。コストも段違いに低い。
そんな中で、生の体験にこだわって真新しい刺激を得られる勝算はどれほどなのだろうか。
またどうせああなる。そう思いながら誰かと時間を共にすることに期待感を持つのは難しい。
失敗を重ねて身動きが取れなくなる前に成功を手に入れなくてはならない。
試行回数の限界が見えてきた気がする。