普通のイチ
普通になりたい。
普通になりたくない。
普通はこうするでしょ。
普通に考えたらそんなことしない。
人は、あたかも普通を知っているかのように、
普通が決まっているかのように、
日常的な会話をしている。
一般的に普通だと思われていることは、本当に普通なのだろうか。
どう考えても普通ではないが、普通だとされておくべきこともあるだろう。
認識しているかどうかにかかわらず、
対象となる人全員の平均。
それが本当の普通の定義だとすれば、
普通の人が一人いなくなったとこで、普通は変わらない。
普通の人が、誰かに影響を与えるのは難しい。
僕は人に影響を与えることで自分の存在意義を感じるから、普通ではいられない。
そのためにも、普通とはなんなのか、できるだけ高い精度で知りたい。
普通を知ることは、自分も含め人の価値観の位置を把握するためにどうしても必要で、
一番精度が求められる行程。
血液型とセイカク
血液型から性格を判断する話は、好き嫌いが分かれる。
血液型による性格判断を嫌う人は、
「全人類を4種類に分けただけでうまく特徴を見出すことは不可能だ」を常套文句にしている。
しかしながら、全人類をさらに少ない2種類に分けただけの“男女あるある”は、比較的認められている気がする。
たしかに、この二つの例では社会的に求められる像の具体性に差があるが、各血液型の像も十分にクリアだと思う。
A型は几帳面、B型はマイペース、O型は大雑把、AB型は変人。
血液型と性格に科学的な結びつきがないにしろ、すでにこの特性らしきものをみんなが認識している時点で影響を与えているに違いない。
ヒトは一人では生きていけないから、集団の中での協調性を重んじる傾向にある。
そのため、ヒトは与えられた役割を無意識に全うしようとする生き物だ。
◯型は△△な性格だと、小さい頃から刷り込みがされていれば、自ずと寄って行ってしまうはず。
そういう意味で、科学的根拠は存在するのではないだろうか。
夏休みのイギ
8月に入って、完全に夏休みムード。
焼き付けるような日差し、絵画のように立体的な雲、騒がしいセミの声。
名だたる夏の風物詩にも負けずに、僕に夏を感じさせるのは、朝から元気な子供たちだ。
学校が休みだから、はりきって朝から騒いでいる。
日本の小学校・中学校・高校には、当たり前のように夏休みがある。
そもそも夏休みがなぜあるのかといえば、生徒が暑くて授業に集中できないかららしい。
たしかに、暑い中で勉強するのはかなり効率が悪そうだ。
しかしながら、公立学校のエアコン普及率が、大阪で50%、愛知で15%とまだまだ低い状況にある中、東京ではほぼ100%である。
そうなると、東京の子供には夏休みを与える必要がない気もする。
実際、自称進学校ともなると課外活動どころではないほどの膨大な宿題出されていて、
生徒自身も授業やってくれた方が楽と言っている始末である。
小6・中3・高3の受験生が、宿題のせいで自分でやりたい勉強を後回しにしている姿をみると、やるせない気持ちになる。
教師の免罪符、親の安心の素としての夏休みの宿題は必要なのだろうか。
宿題を出さないと子供が勉強しないというなら、自主的に勉強する習慣を休みの前に付けさせておけば良いだけだ。
教師の休暇を設けるために夏休みを作るというなら、宿題も出さなくて良い。
特に数学英語はいらない。
夏休みならではの時間の使い方でしかできない自由研究や読書感想文に止めるべき。
子供も大人も、夏休みの宿題が終わったか、まだやっていないかにしか興味が世の中は、何かがおかしい。
実際には何をどのくらい学べたかが大切だ。
すべての子供が学校の授業では学べないことを学んだ夏休みになることが理想なのではないだろうか。
都知事選のカンソウ
都知事選の決着がついた。
思ったことをダラダラ書いていたら、こんな量に。
まず、僕は舛添さんが辞めること自体に賛成ではなかった。
政治とカネの問題などと言われているが、
東京の知事というVIP席に座る人が贅沢をしていない方が心配になる。
都知事になれるような人が本格的に金稼ぎをしようとしたら、
都知事の給料なんて目じゃないに決まっている。
給料が安いからなんてしょうもない理由で、有能な人が候補として出てくれなくなったらどうするのか。
有能な都知事がもたらす効果は、都知事が無駄遣いしている金額とオーダーが違うのは明らかだ。
都知事にはコスパではなく、パフォーマンスをがむしゃらに求めるべきだと思う。
今回当選した小池さんも、給料の減額を掲げている。
ウルグアイのムヒカ元大統領を意識しているのか知らないが、
安月給以上の仕事を願うばかりだ。
法的に問題がなければ不適切であっても良いのか。
倫理的にはどうなのか。
いままで以上に人間性が問われる都知事選だったと思う。
その中で、スキャンダル問題が明るみに出てしまった鳥越さんには当然のように票が集まらなかった。
それがなくても、外でガヤガヤ言っていただけのジャーナリスト出身ではやはり政策の具体性に欠けていたし、
野党統一で推せるような主張が尖っていない候補だったので、
当選は難しかった気がする。
増田さんは、キャリアが申し分ない上に、自民公明推薦なので勝ってもおかしくなかったが、やはり知名度が足りなかった。
応援弁士が続々と名前を間違える様は、名が売れていないことを如実に表していた。
政策の内容も、個人的には小池さんより好きだったから残念だ。
石原さんの応援演説がだいぶ邪魔になっていたと思う。
厚化粧発言は小池さんの追い風になっだだろう。
小池さんは、キャリアと知名度から人間性にも定評があったが、最大の勝因は、決意の早さにあったと思う。
推薦をもらう候補の後出しジャンケンでは、なかなか具体性の高い政策を練りきれない。
小池さんは、それを尻目に早々と準備していたのだろう。
やはり心配なのは、任期問題だ。
小池さんの任期は東京五輪開会中に任期満了を迎える。
3年半と区切って混乱を避けるという知恵があると本人が言っていたが、
任期途中で自ら辞任した知事が出直し選挙で再選された場合、その任期は選挙がなかったのと同じままになるので、
出直し選挙は任期をリセットするためには使えない。
そう考えると、やはり続投で小池さんになる可能性が高まる。
つまり、今回は8年間の長期都政を決める選挙であったといっても過言ではない。
そう都民が感じてか、単純に天気のおかげか、
今回の都知事選の投票率は59.10%で、平成に入ってから2番目に高く、
今回の都知事選への関心の高さが十分に表れた思う。
今回の都知事選で、選挙戦の期間が17日間では短すぎると感じた。
東京五輪は東京だけのものではない上に、18,19歳も新たに有権者になったことも考えると、
各候補が政策を普段以上に練り上げ、都民全員がきちんと精査できる土台作りをする必要があったと思う。
小池さんも、親学についてより深く攻められるべきだった。
例えばあと二週間期間が長ければ、増田さんが勝っていた可能性も高いのではないかと思う。
兎にも角にも、掲げた政策をもう一度見直して、きちんと進めてほしい。
IQ差20以内のカクリツ
先日、メンサの飲み会に参加したとき、
ある会員さんたちが、
「やっぱりメンサ会員同士だと話が合いますね」
「IQが20離れると会話が成り立たないって話がありますし」
「まぁでも、下手したらメンサの中の方がIQ格差は大きいんじゃない?」
という内容を話していました。
さすがにそれはないだろと直感的に思いましたが、どれぐらい間違っているのか調べてみました。
メンサの合格基準の上位2%というのは、IQ130〜31(標準偏差15)に相当します。
合格基準ギリギリだった会員(IQ130)を仮定すると、
その人がIQ差が20以内の人(IQ110〜150)に巷で出くわすパーセントは25.15%。
4人に1人しか、ストレスを感じずに会話ができないらしい。
それに比べ、メンサ内でIQ差が20以内の人(IQ130〜150)に当たるパーセントは、98.12%。
つまりコストがあまりかからないでコミュニケーションを取れる確率は、3.9倍になる。
同様に計算していくと、
IQ150の人がメンサ内でIQ差が20以内の人に当たるパーセントは、
99.9932%で最大になり、確率も43.56倍になる。
それ以上のIQでは、メンサ内でIQ差が20以内の人に当たるパーセントは下がっていき、倍率は維持される。
まぁ結局、IQ差が20以内の人に会うためにメンサに入会することはかなり有効な手段だということです。
とはいうものの、
僕の考えでは、
どんな人にでもレベルを合わせて会話できる人が“本当に頭の良い人”です。
そういう人間になれるように頑張ります。
無法地帯のタブー
障害者施設殺傷事件。
世間にかなりの衝撃を与えた。
この事件で45人が襲われ、19人が亡くなられた。
その内容を聞くだけで居た堪れない気持ちになる事件だ。
しかし、容疑者が衆議院議長に渡そうとし手紙を見て、
ただ単に容疑者が頭がおかしいと一言で片付けられるような事件ではないと感じた。(以下一部抜粋)
“常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。”
刺青をいれた大麻使用者の虚言かのように捉えられているこの手紙。
僕には全てが嘘だとは思えない。
もちろん、今の世の中においては表向きとして完全に否定されるべき内容ではあるが、部分的になら賛成する人も少なくないと思う。
そういう人がネット社会と言われる今ですら、全く出てこない状況がそれはそれで狂気じみている気がする。
匿名ならなんでも言えるはずなのに。
こんな無法地帯にもタブーが存在するようだ。
障害者自身、保護者、施設の職員を取り巻く環境をもう一度見直さないといけない。
また、障害者と結びつけるのはどう考えても変だが、安楽死も目を背けられなくなってきている議題であることに変わりないだろう。
アイドルのキョリカン
7/9、西千葉で『アイドル』をテーマにした哲学カフェがあった。
テーマにも主催者さんにも興味があっただけに、参加できなかったことが残念だったので、自分なりの考えを整理しておく。
近年のAKBの台頭に伴ってアイドル戦国期に入り、アイドルの位置づけが変わってきていると思う。
どうやっても手が届かないスターから、クラスの三番目にかわいい子というコンセプトまで急に距離感を詰めてきている。
今のアイドルとは1000円のCDを買えば握手できるが、クラスの好きな子とはそうはいかない。
つまり、日常生活にアイドルが実体として介入してきている。
物理的な距離も近くなったため、刺傷事件が相次いでいることも気になる。
握手はできるけど、リプは返してくれない、プレゼントも使ってくれない。
確かに変な距離感だと思う。
先日行われたAKB総選挙では、指原が史上初の2連覇をした。
恋愛禁止のルールを破ったファン食いが一番人気がある。
ファン食いをしたのに一位なのか、ファン食いをしたから一位なのか。かなり怪しいところだろう。
総選挙は順位発表後のコメントがおもしろい。
毎回、何個か名言が生まれている。
特に上位ランカーはコメントもさすがだ。
・私のことは嫌いでも、AKBは嫌いにならないでください!
・もう背中を押してくださいとは言いません。ついてきてください。
・この景色をもう一度見たかった。
・絶対にAKB48は壊しません!
印象に残っている人も多いとはずだ。
意外とAKBが好きなんだと思われたかもしれない。
ライブに行ったこともないし、ツイッターもフォローしていないから、いわゆるファンではない。
ただAKBという組織や今のアイドル界には興味がある。
みるきーの卒業にダメージ受けた。